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プロフィール
岩崎綾之
つくば市茎崎在住の社会人。普段の仕事は地元での工場勤務。請負社員やってます。副業としてノベルゲームの原稿書きのアルバイトもやっているけれど、小説形式のRPGというマイナーなジャンルなので知名度はイマイチ。仕事休みの日は映画を観に行ったりカラオケに行ったりすることが多かったけれど、2007年秋から地元の在日難民支援NPOの活動に関わるようになり、今ではそっちの会報の原稿を書いたりすることもあり。2008年10月よりどういうわけか劇団バリリー座に参加し、人手不足から役者を務める羽目に。それがこのブログを立ち上げたそもそものきっかけ。

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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2009年10月25日

《転載10/2》そそるじゃないかぁ~カムイ外伝

これから書くのはろくでもない話だぞ。精神年齢18歳未満のガキは読むな。と、いちおう警告はしておく。

今も絶賛ロードショー中らしい『カムイ外伝』は暴力映画だ。生々しいエロスとバイオレンス、血の臭いまで漂ってきそうだ。しかも救いの無さが半端じゃない。よくぞここまでやってくれたもんだ。つまりは俺好みの映画、ということんなんだがいささか強烈すぎる。

カムイを演じる松山ケンイチ、いや松山ケンイチが演じるカムイか。あの裸身がエロイぜ、そそるぜ、昂ぶっちまうじゃねぇか。‥‥って、何書いてんだよ俺。

もともとこの映画の話を聞いた時、「どーせ一般ウケ狙いの当たり障りのない映画でしょ!」とか思って、最初は観る気もしなかったのだけど、文芸春秋の10月号に載ってた対談記事で原作者・白土三平が映画を高く評価していた。それで、「もしやこれは‥‥!?」と思って観る気を起こし、実際に観て納得した。

「はじめて生身の、本物の
 カムイと会ったような気がする。
 それをひしひしと感じる」

原作者にそこまで言わせてしまう、鬼気迫る迫力があの映画にはある。

‥‥と、お上品な解説はここまで。
単刀直入に言おう。あの映画は俺の本能を刺激して、思いっきりハイにしてくれた。本能、つまり性と暴力を司る部分だ。映画を観た後、興奮で眠れなくなったのはそのせいか。

暴力に満ちた非情なストーリーの原作に加え、監督が崔洋一。以前には梁石日(ヤン・ソギル)の小説「月はどっちに出ている」と「血と骨」を映画化してもいる。残念ながら俺はそのどちらも観ていないが、しかし梁石日の小説は2冊読んでいて、そのうち1冊が児童買春の凄まじい世界を描いた「闇の子供たち」だ。セックスと暴力、そして絶望と紙一重の極限状況、これは「闇の子供たち」をはじめとする梁石日の小説のベースにあるもののようだし、それは「カムイ外伝」にも言えるな。

映画を観た後の眠れない夜、なんでこうも眠れないのか考えているうちに、ふとある事を思い出した。それは元外交官・佐藤優のドキュメント「自壊する帝国」に書かれていた、極限状況の生と性。ソ連崩壊直前、リトアニア共和国の首都でソ連軍とリトアニア軍が衝突し、多数の死傷者が出た時のことだ。バリケードの隅の暗闇で何かが動く気配がして、見ると毛布にくるまった男女がセックスしている。驚く佐藤氏に、リトアニアの外交官が説明する。緊張が限界に達すると、子孫を残したいという本能が刺激されてものすごくセックスをしたくなるのだと。

つまり、俺はあの映画を観てヴァーチャルな極限状態を味わってしまったというわけか? 道理でな。

映画に登場するあの地獄極楽図、どこで登場するかはネタばれになるから言わないけれど、あの1つの絵の中に極楽と地獄とが対になって存在する有様を見て、俺は思った。これが世界なんだと。極楽は煌びやかで美しい。地獄もまたなまめかしく、そそられる。  

Posted by 岩崎綾之 at 15:56Comments(0)映画

2008年12月11日

水曜日は『イーグル・アイ』を観にシネコンへ

観よう観ようと思っていながら、ずっと機会を逃していた『イーグル・アイ』。今週金曜日までの上映だっていうので、夜勤が明けてから自転車に乗って、片道約40分かかるシネプレックスまで行って観てきた。いや~、イーアスつくばのシネコン、ムービックスつくばがOPENして以来、古くからあるシネプレックスもサービスよくなっちゃったね~。料金はモーニングショーで割引の1200円、しかもカードのポイントが2倍だってさ。でも売店のドリンク、いちばん安いコーラのKサイズ買ったのに、これが300円近くするのは高すぎるぞ。

んで映画の内容。アメリカ映画もすっかり雰囲気変わっちゃったね。映画の冒頭、のっけから対テロ戦争批判ムード。911テロ直後の7年前、「今度は戦争だ!」「テロリストを叩け!」の大合唱に合衆国が飲み込まれ、戦争への批判めいた内容があったマーチン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』が公開延期になっちゃったりしたあの頃と比べたら、まるで大違い。合衆国市民の皆様、今じゃ誰もがアフガンにもイラクにも嫌気さしてるんだろね~。でもそこはハリウッド、今ならこういう映画の方が客が入ると見込んで、大金かけて製作したはずだし、このあざとさは昔から変わらんね。思えば「戦争イケイケ!」から「戦争なんか嫌だ!」に業界のムードが変わり始めたのは、マイケル・ムーア監督の『華氏911度』が公開されたあたりか。あの時期を転換点として、その後にスチーブン・ソダーバーグ監督の『シリアナ』、ロバート・レッドフォード監督の『LIONS FOR LAMBS(邦題は『大いなる陰謀』だけど、私は原題の方がしっくりする。映画の主張を見事に表しているし)』といった硬派の作品が合衆国の政策を批判し、今じゃ『アイアンマン』みたいな娯楽大作も対テロ戦争に対する厭戦ムードに乗っかっちゃっている。いちおうポーズとしては。

でもそこは娯楽大作、この映画にしても「対テロ戦争はもううんざりだ!」というムードをうまく利用して、泥沼化するアフガンの戦闘とかITネットワークによる国民の監視とかいった要素を巧みに取り入れてはいるけれど、根幹となる設定がアメリカのSFじゃ使い古されたアレだもん。味付けは今風にしてあっても、「なぜ対テロ戦争は破綻したか」と真面目に問いかけてるわけでもなし。ま~いいか、頭カラッポにして観て楽しめるハリウッド・ムービーも気晴らしには悪くはないし。

ついでに書いておくけど、この映画で驚きだったのは、あの911テロで攻撃されて189人の死者を出したペンタゴン(アメリカ国防総省)が、しっかり映画の中に登場しちゃってること。それもストーリー上、非常に重要な役目を担わされている。おいおいこんな映画にあんな登場のさせ方しちゃっていいの? これが日本の防衛省だったら絶対に許可下りないよ。無人戦闘機だって、とんでもねー使われ方しちゃってるし。でもやっぱり、そこはアメリカだね。映画のパンフによれば、国防総省はこの映画に全面的に協力して、建物上空での空撮まで許可しちゃったらしいけど、この映画なら国民に受けると踏んでるはずだ。「この映画に協力すれば、国防総省も対テロ戦争の現状に憂慮している」というメッセージを国民向けに送ることができると計算してるんだよな、きっと。それはそれで国防総省へのプラスになるし。この映画、ストーリーの表だけをなぞってみれば、アメリカの現実を批判しているようだけれど、よく考えてみればまるで批判になっていない。主人公を陥れる陰謀も、主人公に迫る危機も、過日のハリウッド・ムービーで散々に使われてきたパターンの繰り返し。ま~そこは娯楽大作だからね~。「映画での扱いもこの程度ならばその筋から批判もされず、観客にも受けるし、お金も儲かる」っていうのを、ハリウッドの映画会社はちゃんと計算して作ってるんだ。ま~ったく、昔っからあざとい業界なんだから。つーかハリウッドもアメリカの産軍複合体に組み込まれちゃってる巨大産業なんだし、最新の戦闘機とか空母とかをガシガシだして産軍複合体のために宣伝やってるわけだし、基本的にアメリカの国益に反することはやらんわけだ。  

Posted by 岩崎綾之 at 12:15Comments(0)映画