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プロフィール
岩崎綾之
つくば市茎崎在住の社会人。普段の仕事は地元での工場勤務。請負社員やってます。副業としてノベルゲームの原稿書きのアルバイトもやっているけれど、小説形式のRPGというマイナーなジャンルなので知名度はイマイチ。仕事休みの日は映画を観に行ったりカラオケに行ったりすることが多かったけれど、2007年秋から地元の在日難民支援NPOの活動に関わるようになり、今ではそっちの会報の原稿を書いたりすることもあり。2008年10月よりどういうわけか劇団バリリー座に参加し、人手不足から役者を務める羽目に。それがこのブログを立ち上げたそもそものきっかけ。

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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2011年01月03日

初夢

 正月のいつに見た夢を初夢とするかには、色々と説が分かれているようだ。
 初日の出を拝む前に見た夢を初夢とする説もあるようだし、正月を迎えたその晩に見た夢を初夢とする説もあるようだ。
 俺もこの1月1日の昼間、自宅で寝入っているうちに夢らしきものを見た覚えがある。が、残念ながらその内容を覚えていない。
 でも1月1日の夜、初詣からの帰りにネットカフェに泊まり、そこで寝入って見た夢なら覚えている。とりあえずその夢を初夢ということにしておこう。
 それはこんな夢だ。
 そこは幽霊屋敷みたいな暗い夜の屋敷の中。妖怪でも出そうな雰囲気の中、誰かさんと一緒に片付け物をしながら、邪気を払うように踊っていた。昔、妖怪図鑑か何かで見た怖いヤツが出てくるんじゃないかな~と思いながらも、自然生の田楽舞いみたいな感じで踊っていた。そんな夢だ。
 初夢の次に見た夢も覚えている。亀と金魚の夢だ。
 俺は夢の中で、どこかのおじさんと一緒に夜中のプールのお掃除をしていたようなのだが、明るい照明に照らされたプールの水というのが、野菜とかいっぱい浮かんでいるスープみたいで、野菜と野菜の合間に亀や金魚がぐた~っとなって浮いている。死んでるのかと思って突っついてみたら動くので生きていると分かった。そんな夢だ。
 これが富士山か鷹かナスビの夢なら、間違いなくおめでたい夢なんだろうが、亀と金魚はどうなんだ? しかも初夢の次に見た夢。亀も金魚も縁起物だとは思うんだが。
 とりあえず以前にネットで知った、自称・怪しい霊能者さんにでも相談してみよか。  

Posted by 岩崎綾之 at 20:56Comments(0)年末年始

2011年01月03日

初参り

 今年の初詣、神社巡りで筑波山神社に行こうと決めていた。去年と一昨年は遠くの川崎大師までお参りに行ったのだが、この年末年始も不景気が続いているし、俺も長期失業の後の生活再建中で予算が乏しいし、川崎チッタデラとかでのカウントダウンと年明けイベントの大騒ぎに付き合うような気分でもないし。それで結局、今回は地元の神社にお参りして済まそうと決めた。地元といっても筑波山の麓までは自転車で片道2時間半、いやもっとかかるかな?
 そしてもう一社、筑波山の麓にある蚕影山神社にもお参りしようとも決めていた。こちらの神社それほど有名ではなさそうだけれど、筑波に伝わる金色姫伝説ゆかりの神社で養蚕の守り神。この伝説を知ってから、いつかお参りしようと思っていたのだ。
 でも正月で昼間は人が多そうだし、列に並んで延々と待たされるのは嫌なんで(一昨年の川崎大師で懲りた)、人の少なくなりそうな夕方狙い。で、昼間はカラオケとかで時間潰して、午後も遅くなってから自転車で筑波山を目指したら、予想外に時間がかかっちまった。しかも冬場は暗くなるのが早い。気がついたら夕暮れ時、自転車で走ってるうちに日が沈んで、どんどん暗くなっていく。

 こりゃまずいよ~、初参りのはずが真夜中の丑の刻(うしのこく)参りになっちまうよ~。え、知らない? 丑の刻参りってのは、丑の刻すなわち夜の午前1時から3時の時間に白装束で神社へ出かけて、ご神木に呪いの藁人形を五寸釘でガンガン打ちつけて、憎いヤツを呪い殺す日本の伝統行事‥‥でもないか。とかおバカなことを考えながら走ってるうちに、運良く道案内の案内図を見つけた。やったぞ、これで蚕影山神社まで道に迷わずに済むぞ。





 そういえば蚕影山神社の神様は蚕の守り神。蚕といえば怪獣モスラのモデルになった昆虫だ。モスラだって映画の中で糸吐いて繭作るし、そいえばマスコットの小美人の姉妹がモスラの歌とか歌ってたよな~。いつか蚕影山神社でモスラの歌を歌いながらコスプレの奉納舞を踊ってやろか? なんて相変わらずおバカなことを考えつつ、蚕影山神社に着いた時には日はすっかり暮れて、西の空に少しばかりの残光が残るのみ。その微かな光に照らされて、神社の入り口に立つ白地の看板が見える。『蚕影山神社 入口』と。

 参道は石段になっていて、外灯も何もついてないから真っ暗。なんかヤバそうな雰囲気だと思ったけど、折角ここまで来たのだしと思い、俺はその石段を昇り始めた。途中に小さな鳥居があって、注連縄に付けられた紙垂(しで)が頭に触れそうな程に低く垂れ下がっている。その鳥居をくぐるとまた石段が延々と。俺は日没後の微かな残光を頼りに石段を登り続けた。──正月でもなけりゃこんなことはやらんぞ──。そしてついにたどり着いた。神社の本殿の正面に。当然ながらここも真っ暗。
 賽銭箱に御賽銭を入れ、参拝して帰路につく。
 帰り道、慎重な足取りで石段を下りながら、「罰当たりモンはこういう時に石段から転げ落ちて大怪我するんだよな」とか考えた。が、別に途中で転ぶこともなく、無事に境内から出ることが出来た。

 蚕影山神社でお参りした後、筑波山神社へは登山道を通って行った。自転車は手頃な道端に停め、両側に民家の立ち並ぶ登山道を徒歩で歩き始める。道脇の立て札を見ると、『筑波山神社まで2km』。坂道はだんだん急になる。道行く人は俺以外にはおらず、ただ1人、地元の人とおぼしき女性とすれ違ったのみ。辺りの民家はなぜか明かりの灯っていない家が多い。夜が早いから早々に寝入ってしまったのか、それとも正月休みは他所に出かけているのか? 時計を見るとまだ午後の6時前だ。途中、坂道の上の方から車が走ってきたり。車を停めてある民家も多い。こんな20~30度の勾配がありそうな坂を、よく車で走れるなと感心する。
 やっと赤い大鳥居の場所までたどり着くと、筑波山神社はそこからすぐの場所だった。山地で土地が狭いせいか、御神橋の回りや神社の本殿に向かう石段の両脇にも、屋台がずらりと並んでいる。少し離れた場所には土産物屋がひしめいているから、全体的に雑多で窮屈な感じがした。ま、仕方ないか。しかし本殿への入り口近くにある御神橋、俺がまだ体の小さな小学生だった頃、学校の遠足で見た時には大きな橋だと思ったのに、大人になった今ではこじんまりした橋に見える。屋台や土産物屋の並ぶ場所だって、あの頃はもっと広々と感じたものだ。

 着いた時刻は午後6時半くらいだったろうか? それでもまだかなりの列が出来ていたが、そう待たされることもなく列は進んで行く。本殿の前の門には2人の武人の像が仁王像のように並んでいる。甲冑のデザインは平安・鎌倉時代あたりのもののようだが、中国の兵馬俑のような印象も受ける。後で像の由来を調べてみよう。


 俺のすぐ近くには若いカップルがいて、本殿に飾ってある大きな鈴を見て、「ドラエモンみたいだね」とか話している。そのうちに「神様に何をお願いしようか? 願い事は3つまでかな?」なんて話をし出した。
 願い事か。俺の場合、願いたいことは色々あるけどね。

 東海村原発がメルトダウンしませんように、とか。
 浜岡原発の真下で活断層がぶっちぎれませんように、とか。
 どっかのバカな企業が今は亡きJCOみたいに、バケツに核燃料ぶちこんでひっかき回して臨界越えさせて中性子線を大量放出させちゃうような、バカな核事故を起こしませんように、とか‥‥。

 書いていくとキリがないからやめる。いちいち願い事なんかしていたらキリがない。で、俺はいつも神社のお参りでそうしているように、願い事なんか一切せずに、二礼二拍一礼の挨拶だけして早々と退散した。その後で御神籤引いたら、なんと。

<<<<<大吉>>>>>

『冬の枯木に春が来て花さき黒雲晴れて月てり輝く如く次第に運開けて幸福加わり家業繁盛します』

 やったね!! こりゃあ春から縁起がいいわ!!
 あ、でも続いてこう書いてある。

『しかし安心して油断すると折角の幸が禍(わざわい)となります用心しなさい』

 こ、こわ~っ!!!! こりゃ来年の正月まで気が抜けんな~  

Posted by 岩崎綾之 at 20:54Comments(2)年末年始

2011年01月03日

転載:どんぐりの家

>別ブログ、2010年11月25日の記事を転載。
http://ayayukimeia.tsukuba.ch/e104142.html

 自然生クラブ、これは筑波山の麓にある、知的障害児と共に暮らす共同体だ。
 一般的には障害児のための"施設"という呼ばれ方をするのだろうけれど、責任者の柳瀬氏はあえて"共同体"という言葉を使っておられるようだ。実際、自然生クラブの運営方針はユニークで、単に障害児の世話をするのみならず、障害児と共に有機農業を営み、また障害児と共に田楽舞という舞踏を嗜み、国内そして国外でもたびたび公演を行っている。また自然生クラブの職員を中心に結成された百景社という劇団があり、クラブの所有する劇場もある。この劇場はもともとは米を貯蔵する蔵だったものを改造したもので、百景社の公演に使われる以外にも、地元のアーティストの公演に貸し出されたり、また福祉や有機農業の分野で活躍する専門家がここに招かれ、セミナーが開かれたりすることもある。
 その活動範囲は単なる施設の枠を越え、さまざまな人々のつながる共同体として機能している。だから私も"施設"よりも"共同体"という呼び名の方が相応しいと思う。

 私が自然生クラブの存在を知ったのは確か一昨年、2008年の秋頃で、その活動に興味を覚えてたびたびその所在地に足を運ぶようになった。今年の秋になって、自然生クラブが桜川市のホールで開かれる福祉関係の映画上映会で田楽舞を披露するという話を知り、自宅から桜川市までは遠かったけれど、折角なのでその会場を訪ねてみた。

 前置きが長くなったが、これから書くのはそのイベントのことだ。

 ハートフル映画祭inシトラス

 これがイベントの正式名称で、上映された映画が『どんぐりの家』。

 どういう映画なのかは、チラシに紹介文があるので、それを読んでもらうのがいいだろう。

>>>>
 アニメ映画「どんぐりの家」は、実在するろう重複障害者の共同作業所をモデルにしたヒューマンドラマです。
 ハンディを背負った子どもたちの成長を願い、苦しみながらも歩んでいく家族、それを支える人々の姿は、福祉の原点を問いかけるものです。
 “桜川で「どんぐりの家」を観る会”では、この映画を通して、障害者への理解を深め、思いやりと優しさのあるまちづくりの輪を広げていきたいと考えています。
 また当日は、この映画をいろいろな国で上映したいという留学生の思いに賛同し、募金活動を行います。
 多くの国で「どんぐりの家」が上映されることを期待しています。
>>>>

 そもそも私は映画のほうにさほど関心はなく、予備知識をまったく仕入れてなかった。会場に着いたのが上映開始ギリギリの時間で、映画が始まってようやく「えっ!? これってアニメだったの?」と気がつく始末。だけど上映が終わった後で、「この映画を観ることが出来て、本当に良かった」と思った。そして、「この映画をぜひとも、1人でも多くの人に観てもらいたい」とも思った。この映画にはそれだけの力がある。アニメだけれど(ただし一部に実写の場面もある)、アニメだから表現できたし、アニメだからここまで踏み込めて描くことが出来たし、アニメだからこそこれだけの訴える力を持てたのだと思う。

 上映後には一般参加者を交えたフォーラムの時間が用意されており、そこで色々な方が感想を述べられたが、皆に共通していたのは「この映画からは多くのことを学ぶことが出来る」という意見だった。私もまったくその通りで、この映画から多くのことを学ばされたし、これからも多くの発見をしていくことだと思う。
 その全てを書き出すのは難しいけれど、少しだけ例を挙げてみよう。
 何よりも私が心を揺り動かされたのは、この映画が“障害者と共に生きる”ということをきれい事で終わらせず、きれい事だけではやっていけない現実を真正面から見据え、その有様をしっかりと描いていることだ。
 映画の主人公は障害児を持つ母親。仮死状態で生まれた娘が、やがて重度の障害児であることが分かる。家庭に障害児を抱え込むという過酷な現実に打ちのめされ、幸せだった家庭が絶望に飲み込まれ荒廃していく有様が、映画では容赦なく描かれていく。子どもの介護に疲れて絶望する母親、家庭で安らぐことが出来ず妻にあたり散らし酒に溺れる父親、そんな親の目の前で動物のように本能のまま暴れる子ども、観ているこちらが「ここまで描いていいのか? この家族はどうなってしまうのだろう?」とハラハラしてしまうほどだが、結局その家族は一つの事件をきっかけとして、立ち直りの道を歩んでいくことになるのだ。観ている方もハラハラドギドキから、頑張れ頑張れとエールを送りたい気持ちになり、その後はただただ映画に引き込まれて最後まで観てしまった。
 あと一つ。映画で描かれている、きれい事だけではやっていけない現実の例を。
 小学校から高校までの十五年間、先生方の手厚い教育と訓練を受けて養護学校を卒業したものの、それを受け入れる場が社会にあまりにも少なく、結局、家に閉じこもってしまう障害児のケースだ。ただ家族に食べさせてもらうだけの生活で、学校で育まれた適応力も失われていき、健康状態も悪化する。親は年老いていき、親に先立たれたら生きていく術はない。
 もしも自分が死んだら、この子はどうなってしまうのだろう?
 そういう悩みを持つ、障害児を抱える親たちが集まって立ち上がった。
 社会に受け入れる場がないのなら、自分たちでその場所を作ろうと。
 それが障害児のための共同作業所、重度の障害児がハンディを気にすることなく働ける場所、それは『どんぐりの家』と名づけられた。
 この“障害者を受け入れる場所を、当事者たちが社会の中に作る”ということが、映画の後半の重要なテーマになるのだけれど、私は映画を観ながら、今社会で問題になっている引きこもりやニートのことを連想してしまった。社会に生き甲斐を見出せず自宅に引きこもり、ただ親に面倒を見てもらう若者達のことが社会問題化した最初は、確か1980年代のことだったと思う。その若者も今や40代・50代の高年齢に達し、面倒を見る親が亡くなったら生活能力のないまま社会に放り出されてしまうということが、支援者の間で懸念されているというニュースをどこかで読んだ記憶がある。実際、ニートがホームレスになるケースも出始めているという。
 かつての高度経済成長も、バブルの熱狂もどこへやら、今の日本の社会はすっかり元気をなくしているし、政治も経済もガタガタだ。引きこもりやニートの問題も日本社会の生きづらさの表れだとも思う。しかし生きづらい社会のしわ寄せを最も受けるのは、やはり大きなハンディを抱えた障害者とその家族だろう。しかし社会の中で最も困難を抱え、最も苦しんでいるはずの当事者達が立ち上がり、自分たちの手で『どんぐりの家』という行き場を作り出したのだ。これには当事者のみならず、大勢の人々の支援があってこそ出来たことなのだけれど、その運動の中心にあったのは常に当事者たちだった。
 この映画はその運動の貴重な記録だし、それは障害者のみならず、共にこの社会で困難を抱えながら生きている大勢の人々にとって励みになり、また多くの学ぶべきことを与えてくれるだろう。
 だから私は、出来るだけこの映画を1人でも多くの人に観てもらいたいと思う。
 会場にはこの映画を観て感動し、これをモンゴルで上映するために頑張っている、3人の留学生の方もみえていた。既にモンゴル語の字幕付きのものをモンゴルで上映し、これからも上映を続けていくそうだが、映画を観た人はとてもテンションが上がっていたとか。日本から遠く離れたモンゴルでも感動の輪が広がっているようだ。  

Posted by 岩崎綾之 at 20:43Comments(0)

2011年01月01日

新ブログ立ち上げ

新年を機に新しいブログを立ち上げてみた。

http://ayayukisafetynet.tsukuba.ch/
  

Posted by 岩崎綾之 at 23:20Comments(2)福祉と介護

2011年01月01日

暗い正月

 わっはっはっは!! 年が明けたぞ!! 朝だ、太陽の光だ、気がついたら空が明るいぞ、もう憎たらしいくらいに。今年はでかいのがやって来るかもだぞ。景気の二番底とか、第二のリーマンショックか、原発のメルトダウンとか、日中軍事衝突の勃発とか、おっと日本の国債大暴落と日本円の紙屑化も忘れるな。さあ叫べ! 叫べ! Cry! Cry! Cry! Cry! Cry! Cr~~~~~y!
 ‥‥ふぅ、すっきりしたぜ。あの気が滅入る超イタイ作、いやCGてんこ盛りの超大作『2012』を映画館で見たのは一昨年の話だったか? オカルト情報によれば地球規模の大異変が起こるらしいあの年の到来まで余すところあと1年を切った。これじゃ新年到来のカウントダウンがまるで破滅へのカウントダウンに思えてくるじゃないか。だからオレは今回の年末年始、賑やかな場所には行かず、新年を迎えるカウントダウンのイベントなんかそっちのけで、不景気の真っ只中にある地元の地方都市でひっそりと過ごした。いや折角、東京まで行って金稼いでいるんだから、少しは地元に金を落さないとな。
 しっかし客がたった4人しか入っていないファミレスとか、新年到来の瞬間もひっそりと静まっている駅前とか、そんな場所で迎える新年もクールだ。いや心が寒くなるって? 近くのお寺からは除夜の鐘のぼわぁ~~んという音が響いてきて、暗く静まった景色の中で聞くと、心の中まであの鐘の音が染み込んでくるっつーか、諸行無常って言葉がしっくりくるんだよな。鐘を聞いているうちにこの世とあの世が重なっちゃったみたいな感じがしてくるしさ。
 さて、そろそろ出かけるか。カラオケで歌った後は、筑波山で初詣だ。その後はネカフェにこもるぞ。

‥‥‥‥‥‥‥‥と、ここまで書いたのが今日の昼前。で、今は夜中の10時半近く。はい、カラオケで歌ってきました。筑波山の神社にも行ってきました。今はネットカフェにこもって、USBメモリーに記憶しといた文章をブログに貼り付けました。自宅はまだネットが使えないので、どうしてもUPまでのタイムラグが長くなっちゃうんですよ~だ。  

Posted by 岩崎綾之 at 22:28Comments(0)年末年始

2011年01月01日

黒い正月

また新しい年がやって来ました。

今年もよろしく。

この1年、関東で大地震が起きませんよーに。
東海地震が起きませんよーに。
原発がメルトダウンしませんよーに。
国債が大暴落して円が紙くずになりませんよーに。
北朝鮮のミサイルが飛んできませんよーに。
あと1年間無事に生き延びて、来年の正月を迎えられますよーに。

‥‥なんてね。ぶーっ  

Posted by 岩崎綾之 at 00:50Comments(0)年末年始