2009年10月25日
《転載9/1》忘れないうちにメモっておく
セリフを喋ることが演技ではない。呼吸をすることが演技だ。
呼吸が決まり、フォーカス(意識の集中する対象)が決まり、体(姿勢)が決まる。言葉が出てくるのはその後だ。
モブ(群集)シーンの怖さ。1~2人の演技、4~5人での演技ならば、自分がどうそこに居るべきかを理解しやすく、緊張が保てる。しかし10人、20人の大人数が一斉に舞台の上に立つと、集団の中にいることで安心感が生まれ、ただそこに立っていればいいという気持ちに流れやすい。そういう気持ちは伝染しやすいから一斉に緊張感が失われ、芝居が腐ることになる。
「あれだけの時間、舞台に立っていたのなら、腹筋が痛くなっていなければおかしい。体が筋肉痛になっていなければおかしい」
ということを、自分は若い頃に先輩から言われた。ただ舞台に立っていればいいのではない。舞台に立ち、なおかつ周りの役者との関係を作り上げていかなければならない。セリフの有る無しに関わらず、その場を支配する空気というものを表現しなければならないから、モブシーンは大変だ。
言葉で喋るより先に、まず体で喋れ。
過去の演技をただなぞればいいという気持ち、仲間同士で馴れ合う気持ち、そういうものはすぐ周囲に伝染し、すぐに芝居を腐らせる。芝居をやるはずが、「芝居のようなもの」「芝居に似ている芝居もどき」をやる羽目になる。そういう芝居もどきをやるくらいなら、舞台に立つ必要はない。
昨日の稽古と比べて、今日の稽古はどうだったか? 昨日の演技と比べて、今日の演技はどうだったか? どこで成功してどこで失敗したか? どれだけ新しいものを見つけられたか? そういう判断のできるベースをもって、舞台に立つべし。ただ漫然と稽古に臨み、ただ漫然と舞台に立つべきではない。ただ漫然と、同じことを繰り返してはいけない。
何も24時間、絶え間なく努力しようとすることはない。それは疲れるし、それが出来るなら自分は役者ではなく宗教家になっている。ただし数時間の限られた稽古、限られた舞台の中では常に新鮮であろう、常に何かを観客の心に残そうと頑張る。そういう人間が演劇をやればいい。何か他の分野でそれが出来るなら、そちらに進めばいい。
役者それぞれは楔(楔)になるべきだ。楔という言葉をマイルストーン、メルクマール、一里塚という言葉に置き換えてもいい。スピード、テンション(緊張度)、強度、この3つが大事だ。芝居の流れの中で自分はどのようなスピードで、どのようなテンションで、どのような強度で演技をすべきなのか? そのことを常に問い詰め、日々、楔を打ち込んでいく。演技とはそういうものだ。
芝居は生き物だ。だから気を抜けばすぐに腐る。今日の演技が良かったからといって、明日の演技も良いとは限らない。それはどんなベテランの役者でも同じだ。だから日々、何か新しいものを見つけて掴み取ろうという、常に新鮮であろうとする気持ちを持って、舞台に臨め。
~水戸市民演劇学校、長谷川講師の言葉のメモ書き
呼吸が決まり、フォーカス(意識の集中する対象)が決まり、体(姿勢)が決まる。言葉が出てくるのはその後だ。
モブ(群集)シーンの怖さ。1~2人の演技、4~5人での演技ならば、自分がどうそこに居るべきかを理解しやすく、緊張が保てる。しかし10人、20人の大人数が一斉に舞台の上に立つと、集団の中にいることで安心感が生まれ、ただそこに立っていればいいという気持ちに流れやすい。そういう気持ちは伝染しやすいから一斉に緊張感が失われ、芝居が腐ることになる。
「あれだけの時間、舞台に立っていたのなら、腹筋が痛くなっていなければおかしい。体が筋肉痛になっていなければおかしい」
ということを、自分は若い頃に先輩から言われた。ただ舞台に立っていればいいのではない。舞台に立ち、なおかつ周りの役者との関係を作り上げていかなければならない。セリフの有る無しに関わらず、その場を支配する空気というものを表現しなければならないから、モブシーンは大変だ。
言葉で喋るより先に、まず体で喋れ。
過去の演技をただなぞればいいという気持ち、仲間同士で馴れ合う気持ち、そういうものはすぐ周囲に伝染し、すぐに芝居を腐らせる。芝居をやるはずが、「芝居のようなもの」「芝居に似ている芝居もどき」をやる羽目になる。そういう芝居もどきをやるくらいなら、舞台に立つ必要はない。
昨日の稽古と比べて、今日の稽古はどうだったか? 昨日の演技と比べて、今日の演技はどうだったか? どこで成功してどこで失敗したか? どれだけ新しいものを見つけられたか? そういう判断のできるベースをもって、舞台に立つべし。ただ漫然と稽古に臨み、ただ漫然と舞台に立つべきではない。ただ漫然と、同じことを繰り返してはいけない。
何も24時間、絶え間なく努力しようとすることはない。それは疲れるし、それが出来るなら自分は役者ではなく宗教家になっている。ただし数時間の限られた稽古、限られた舞台の中では常に新鮮であろう、常に何かを観客の心に残そうと頑張る。そういう人間が演劇をやればいい。何か他の分野でそれが出来るなら、そちらに進めばいい。
役者それぞれは楔(楔)になるべきだ。楔という言葉をマイルストーン、メルクマール、一里塚という言葉に置き換えてもいい。スピード、テンション(緊張度)、強度、この3つが大事だ。芝居の流れの中で自分はどのようなスピードで、どのようなテンションで、どのような強度で演技をすべきなのか? そのことを常に問い詰め、日々、楔を打ち込んでいく。演技とはそういうものだ。
芝居は生き物だ。だから気を抜けばすぐに腐る。今日の演技が良かったからといって、明日の演技も良いとは限らない。それはどんなベテランの役者でも同じだ。だから日々、何か新しいものを見つけて掴み取ろうという、常に新鮮であろうとする気持ちを持って、舞台に臨め。
~水戸市民演劇学校、長谷川講師の言葉のメモ書き
オーディション受けました
え!? バリリー座の夏公演、知ってたんですか?
余命1ヶ月だったのが3ヶ月に延びた
とうに人生終わったこの俺だがせめて死ぬ前にもうひと芝居
《転載9/9》のりたんの歌をみんなで歌お~♪
《転載9/9》舞台の神様
え!? バリリー座の夏公演、知ってたんですか?
余命1ヶ月だったのが3ヶ月に延びた
とうに人生終わったこの俺だがせめて死ぬ前にもうひと芝居
《転載9/9》のりたんの歌をみんなで歌お~♪
《転載9/9》舞台の神様
Posted by 岩崎綾之 at 12:38│Comments(0)
│水戸市民演劇学校