2009年11月17日
職業訓練日記6:「ガイコツがいる~!」
久々の職業訓練日記。
日記に書くのに長いブランクがあったけど、職業訓練校にはきちんと通ってますよ。
実習は毎週のようにあって、車椅子の解除訓練では実際に車椅子に乗って野外で動かしてみたり。
今日、11月17日は天気が良ければ、野外でアイマスクをつけて視覚障害者の介助訓練をやる予定だったんだけど。
生憎の雨で予定を変更。実習室でおむつ交換の訓練になった。
備え付けのベッドを使い、訓練生は順番に介護する役と介護される役をやる。
介護される役をやる時は、実際におむつをつけるんだ。
俺が介護される役の番になった時、ちょうど休み時間になった。
「じゃあ、このままベッドで寝てます」
俺はそのまま、おむつをつけたままベッドで休憩。
気分はもう、寝たきり老人。
いや~、学校じゃ認知症の介護とか麻痺の介護とか色々な事例を勉強するもんで、ついつい自分の老後のことまで心配になっちまう。あとン十年もすれば、もしかしたら、もしかしたら俺も‥‥なぁ。
もしも俺が認知症になったら、相当にうるさく騒ぎそうだ。
「ここどこ~!?」とかぶつぶつ呟いてあっち行ったりこっち行ったり。食堂のテーブルを舞台と間違えて乗っかって、「おかあさ~ん!!」とか「オミソド~!」とか訳のわかんないこと叫んだり。
見えるのはほとんど天井。視線を周りのほうにずらしていくと、ケースに入った骨格標本が見える。
いつもは何気なく見ている骨格標本のガイコツが、寝たきり状態の視線だと、やけに不気味に見える。
そういえば、寝たきり老人が幻覚に悩まされ、いないはずのお化けとか幽霊とか見えるというケースをよく聞くけど‥‥その気持ち、分かる気もするなぁ。
寝たきりで、体を動かせなくて、夜なんか周りに誰もいないと‥‥恐くなるぞ~。
なんて、寝たきりの気分に浸っていると、休憩してきたみんなが戻ってきた。
「ご気分はどうですか?」
って聞かれたから、俺は骨格標本のガイコツを指差して、震える声で、
「そこにガイコツがいる~!」
笑われた。
「もう! ボケが入っちゃって!」
「演劇部だけに演技がうまいよ」
とか何とか言われて。
あ、でも俺が片麻痺介助訓練で介助される役をやると、リアルすぎて介助がやりずらいそうだ。
しっかり体の片側だけ脱力させるから、ぐにゃぐにゃした手や足をすごく支えずらいんだとか。
だけど指導の先生によると、実際に施設に入っている人にはそういうケースも少なくないんだとか。
「では、オムツ交換しますね~」
あ、念のために書いておくけど、オムツの下にはジャージはいてます。俺の班、俺以外は全員女性。介護役の女性の手が俺の腕に触った。ひんやりしてる。
「手、冷たくてごめんなさいね。でも、暖かい」
周りで見てるみんなも面白がって触ってくる。
「ほんと、暖かいわ」
思わず俺はジジイの声で言ってやった。
「おまえら、わしを何だと思っとるんじゃ~! わしは湯タンポじゃないんだぞ~!」
また笑われて、こう言われた。
「口では怒っていても心で嬉しがっている人もいるからね」
いいのかな~。俺、こんなことやってて。
日記に書くのに長いブランクがあったけど、職業訓練校にはきちんと通ってますよ。
実習は毎週のようにあって、車椅子の解除訓練では実際に車椅子に乗って野外で動かしてみたり。
今日、11月17日は天気が良ければ、野外でアイマスクをつけて視覚障害者の介助訓練をやる予定だったんだけど。
生憎の雨で予定を変更。実習室でおむつ交換の訓練になった。
備え付けのベッドを使い、訓練生は順番に介護する役と介護される役をやる。
介護される役をやる時は、実際におむつをつけるんだ。
俺が介護される役の番になった時、ちょうど休み時間になった。
「じゃあ、このままベッドで寝てます」
俺はそのまま、おむつをつけたままベッドで休憩。
気分はもう、寝たきり老人。
いや~、学校じゃ認知症の介護とか麻痺の介護とか色々な事例を勉強するもんで、ついつい自分の老後のことまで心配になっちまう。あとン十年もすれば、もしかしたら、もしかしたら俺も‥‥なぁ。
もしも俺が認知症になったら、相当にうるさく騒ぎそうだ。
「ここどこ~!?」とかぶつぶつ呟いてあっち行ったりこっち行ったり。食堂のテーブルを舞台と間違えて乗っかって、「おかあさ~ん!!」とか「オミソド~!」とか訳のわかんないこと叫んだり。
見えるのはほとんど天井。視線を周りのほうにずらしていくと、ケースに入った骨格標本が見える。
いつもは何気なく見ている骨格標本のガイコツが、寝たきり状態の視線だと、やけに不気味に見える。
そういえば、寝たきり老人が幻覚に悩まされ、いないはずのお化けとか幽霊とか見えるというケースをよく聞くけど‥‥その気持ち、分かる気もするなぁ。
寝たきりで、体を動かせなくて、夜なんか周りに誰もいないと‥‥恐くなるぞ~。
なんて、寝たきりの気分に浸っていると、休憩してきたみんなが戻ってきた。
「ご気分はどうですか?」
って聞かれたから、俺は骨格標本のガイコツを指差して、震える声で、
「そこにガイコツがいる~!」
笑われた。
「もう! ボケが入っちゃって!」
「演劇部だけに演技がうまいよ」
とか何とか言われて。
あ、でも俺が片麻痺介助訓練で介助される役をやると、リアルすぎて介助がやりずらいそうだ。
しっかり体の片側だけ脱力させるから、ぐにゃぐにゃした手や足をすごく支えずらいんだとか。
だけど指導の先生によると、実際に施設に入っている人にはそういうケースも少なくないんだとか。
「では、オムツ交換しますね~」
あ、念のために書いておくけど、オムツの下にはジャージはいてます。俺の班、俺以外は全員女性。介護役の女性の手が俺の腕に触った。ひんやりしてる。
「手、冷たくてごめんなさいね。でも、暖かい」
周りで見てるみんなも面白がって触ってくる。
「ほんと、暖かいわ」
思わず俺はジジイの声で言ってやった。
「おまえら、わしを何だと思っとるんじゃ~! わしは湯タンポじゃないんだぞ~!」
また笑われて、こう言われた。
「口では怒っていても心で嬉しがっている人もいるからね」
いいのかな~。俺、こんなことやってて。
2009年11月15日
観劇:劇団新和座第3回公演『エレクトラ』の続き
以前の日記にも書いたけど、しつこくその続きだ。前回、ダブルキャストのことを書けなかったので、そのことについて書いておく。
10月31日、『エレクトラ』の公演で面白いと思ったのは、午後2時からの回と午後7時からの回で、ヒーロー・ヒロイン・敵役を別々の役者が演じていることだ。
エレクトラ(ヒロイン) ならりえ/今松くるみ
オレステス(ヒーロー) 北村空/古川康史
アイギストス(悪役) 古川康史/北村空
と、こうなる。先にも書いたがエレクトラ@ならりえは動、エレクトラ@今松くるみは静。私の感想としてはエレクトラ@今松くるみバージョンの方が高い完成度に見えたわけだが、だからってエレクトラ@ならりえがエレクトラ@今松くるみのように演じればいいというわけではない。
たとえば体格。舞台を観ればお判りのようにエレクトラ@ならりえは長身で、恐らく女性陣の中では最も背丈があるのではなかろうか。対するエレクトラ@今松くるみは標準的な背丈、どちらかといえば小柄な感じもする。この体格というものは本人の努力で変えたりすることはまず不可能だが、舞台効果のことを考えれば重要な要素だ。体格が違うだけで、立っているだけで威風堂々とした頼りがいのある人物に見えたり、逆に思わず寄り添ってあげたくなるいじらしい人物に見えたりする。その点を考えればエレクトラ@今松くるみが”静”の演出だったのは正解。逆にエレクトラ@ならりえだが、『王女メディア』や『ひばり』ではあの堂堂とした存在感が舞台の上で映えていたのに、今回は色々とちぐはぐな点が目立ったのが残念だった。いかにしてあの堂々とした存在感を舞台の上で生かしきるか、今後の上演に期待しよう。
面白いのはヒーロー・オレステスと悪役・アイギストスの役者が先の回と後の回とで入れ替わっていることで、どちらの演技も満足すべき水準に達して見える。演じる役者も体格においては対照的で、オレステス&アイギストス@古川康史は大柄、対するオレステス&アイギストス@北村空は小柄だ。が、どちらもヒーローをやる時はかっこよく演じている。観ていて気持ちがいい。
あえて欲を言うならば、悪役を演じる時の凄みが欲しい。とはいえ、いつでも平気で人を殺せそうな、殺気や狂気を放つ人物を演じるのは難しいものだと思う。アイギストス@古川康史は体格が堂々としているだけに、それだけで威圧感を放てるのが強みだ。小柄なアイギストス@北村空だと、目の下に隈を入れた悪人面のメイクをしたりと工夫はしているものの、体格の点では迫力負けするのが難しいところだ。しかし小柄な体格の役者に凄みのある悪役は無理かというとそうでもなく。たとえば映画『ダークナイト』で故ヒース・レジャーが演じた悪役ジョーカー、あの小柄なキャラがスクリーンから振りまく狂気は凄まじかった。ただ立っているだけで鬼気迫る戦慄を覚えるほどだ。とはいえ人間の暗黒面を体現するようなキャラは、演じる側にとってもリスクを伴うという話は色々と聞いているし、ダークサイドの演技にのめりこみすぎて実生活が破綻しても困るわけだが。これは今後の課題ということで、人生をダメにしない程度にがんばってくださいとエールを送ろう。
10月31日、『エレクトラ』の公演で面白いと思ったのは、午後2時からの回と午後7時からの回で、ヒーロー・ヒロイン・敵役を別々の役者が演じていることだ。
エレクトラ(ヒロイン) ならりえ/今松くるみ
オレステス(ヒーロー) 北村空/古川康史
アイギストス(悪役) 古川康史/北村空
と、こうなる。先にも書いたがエレクトラ@ならりえは動、エレクトラ@今松くるみは静。私の感想としてはエレクトラ@今松くるみバージョンの方が高い完成度に見えたわけだが、だからってエレクトラ@ならりえがエレクトラ@今松くるみのように演じればいいというわけではない。
たとえば体格。舞台を観ればお判りのようにエレクトラ@ならりえは長身で、恐らく女性陣の中では最も背丈があるのではなかろうか。対するエレクトラ@今松くるみは標準的な背丈、どちらかといえば小柄な感じもする。この体格というものは本人の努力で変えたりすることはまず不可能だが、舞台効果のことを考えれば重要な要素だ。体格が違うだけで、立っているだけで威風堂々とした頼りがいのある人物に見えたり、逆に思わず寄り添ってあげたくなるいじらしい人物に見えたりする。その点を考えればエレクトラ@今松くるみが”静”の演出だったのは正解。逆にエレクトラ@ならりえだが、『王女メディア』や『ひばり』ではあの堂堂とした存在感が舞台の上で映えていたのに、今回は色々とちぐはぐな点が目立ったのが残念だった。いかにしてあの堂々とした存在感を舞台の上で生かしきるか、今後の上演に期待しよう。
面白いのはヒーロー・オレステスと悪役・アイギストスの役者が先の回と後の回とで入れ替わっていることで、どちらの演技も満足すべき水準に達して見える。演じる役者も体格においては対照的で、オレステス&アイギストス@古川康史は大柄、対するオレステス&アイギストス@北村空は小柄だ。が、どちらもヒーローをやる時はかっこよく演じている。観ていて気持ちがいい。
あえて欲を言うならば、悪役を演じる時の凄みが欲しい。とはいえ、いつでも平気で人を殺せそうな、殺気や狂気を放つ人物を演じるのは難しいものだと思う。アイギストス@古川康史は体格が堂々としているだけに、それだけで威圧感を放てるのが強みだ。小柄なアイギストス@北村空だと、目の下に隈を入れた悪人面のメイクをしたりと工夫はしているものの、体格の点では迫力負けするのが難しいところだ。しかし小柄な体格の役者に凄みのある悪役は無理かというとそうでもなく。たとえば映画『ダークナイト』で故ヒース・レジャーが演じた悪役ジョーカー、あの小柄なキャラがスクリーンから振りまく狂気は凄まじかった。ただ立っているだけで鬼気迫る戦慄を覚えるほどだ。とはいえ人間の暗黒面を体現するようなキャラは、演じる側にとってもリスクを伴うという話は色々と聞いているし、ダークサイドの演技にのめりこみすぎて実生活が破綻しても困るわけだが。これは今後の課題ということで、人生をダメにしない程度にがんばってくださいとエールを送ろう。
2009年11月15日
百景社の『赤ずきん』観てきました
前から気になっていて、いつか観よう観ようと思いながらなかなか観にいけなかった、地元つくば市の劇団・百景社。その劇を11月3日、初めて観ることができた。演目は『赤ずきん』、上演場所は筑波山の麓、神郡の田井ミュージアム。自宅から自転車に乗っていくと、結構遠いけれど、それでも2時間ちょっとで着いた。ここは以前にも、ちょっとしたイベントがあって訪れたことがあるし。
道の途中で目にした筑波山がすごく壮大に見えて感動した。思わずデジカメで写真撮影。ちょっと風があって、次々と飛んでくるちぎれ雲が山肌に影を落としていくシーン、普段はなかなか見られない。
さて『赤ずきん』の内容だが、パンフレットに『原作:ペロー童話/グリム童話』と書いてあるから、これはもしや赤ずきんが狼に食われるペロー・バージョンを忠実に舞台化したのかと期待して行ったら、いやぁ見事に期待に応えてくれましたよ百景社。シナリオも原作を色々と脚色していて、のっけからベッドで寝ているはずのお婆さんが、椅子に座って居眠りしていたり。で、赤ずきんがどうなるかというと‥‥ネタバレになるから詳しくは書かないけど、いちおうはハッピーエンドだ。とにかくシュールでブラックで笑える赤ずきん。『狼の足』さんの演技に拍手。上演時間はたったの45分かそこらだったけど、役者の演技とか計算され尽くされていて、ここまで見せてくれて1000円のチケット代はとってもお徳。百景社、病み付きになりそうだ~。
2009年11月14日
自転車で東京まで行って帰って雨に降られて
10月31は阿佐ヶ谷の小劇場で観劇。
その夜はホテルで一泊して。
翌、11月1日は日比谷で集会とデモ。
だけど今だから明かすが、当時の俺は金欠で金がなかった。
実を言うと今はもっと金欠なのだが、買い置きの食料があるので何とか持ちこたえている。
失業保険の給付日が待ち遠しい。
話を元に戻そう。とにかくあの時の俺は金欠だった。東京駅までの電車代、近場の駅から乗っていったら約2千円。その金を払ったら観劇のチケット代がなくなってしまう。で、俺はどうしたかというと、東京まで電車には乗らずに自転車で行くことにした。
長距離走なら経験がある。夏、水戸の演学に通っている時に金欠になった時は、つくばから水戸まで自転車で走って行ったほどだ。後で自転車、ぶっ壊れたけど。つくばから東京まではたかが片道60km、いや70kmだっけか? とにかく水戸とだいたい同じくらいの距離だ。幸い、これまで宿泊に使った東横インのポイントがたまっていて、1泊無料で宿泊できる。これなら夜の休息も十分に取れそうだし、じゃあやってみよか。
実際に走ってみたら、時間はかかるけど何とか目的地までたどり着けた。しかし途中で道に迷ったりで、阿佐ヶ谷の小劇場についたのが開演の30秒前かそこらだったりして。
しかし問題は帰り道だった。11月1日、デモが終わった時にはまだ降っていなかった雨が、帰路についた頃に降り出した。しかもだんだん降り方が激しくなってくる。それでも最初のうちは気温も高くてやり過ごせたのが、柏を過ぎた辺りから寒くなってきた。しかも雨はだんだんと暴風の様相を呈してくる。どこかの店に入って一休みしようにも、金がない。食料は安物のバタピーに、東横インのフロントから大量にいただいてきたキャンデーだけ。利根川を渡る頃には真向かいから強風が吹いて、まるで前に進めない。おまけに俺はレインコートを用意してなかったせいで、衣服が雨でぐっしょり濡れて体温を奪われる。このままじゃマジで遭難するぞと思いながらも、走るのを止めることはできない。走るのを止めたらマジで遭難だ、明日は職業訓練校で介護の授業があるってのに。
それで、俺はひた走りに自転車を走らせた。走りながら色んなことを思い出していた。生憎、何を思い出していたかその中味はよく覚えていないのだが、1つだけはっきり覚えているのはタイタニックのことだ。映画タイタニックで厳寒の海に落ちた遭難者が、海の中でじたばたして叫びながら死んでいくシーン。俺もこのまま体温奪われていったらそのうちああなりそうだなとか考えつつ、映画のあのシーンやこのシーンを思い出していくうちに何だか勇気づけられた気分になって、気がついたら俺はセリーヌ・ディオンの『My Heart Will Go On』を歌っていた。どしゃぶりの雨の中、冷えた体で自転車を突っ走らせながら、あのタイタニックのテーマを歌っていた。極限状況で、相当に気分がハイになってたんだな。
結局、俺は遭難することもなく真夜中に家に帰ってこれた。すぐ風呂にお湯をはって飛び込んだ‥‥つもりだったのだが、最初は結構に熱かったはずのお湯が、しばらくするといやに冷たく感じる。これってほとんど水の温度じゃん? この冷たさを、最初は熱めのお湯ぐらいに感じていたとは、相当に体が冷え切ってたってことか? ヤバかったぞ。
で、翌日。俺はカゼ引いて学校を休むこともなく、何事もなかったかのように介護の授業に出た。
‥‥バカはカゼ引かねぇってか?
その夜はホテルで一泊して。
翌、11月1日は日比谷で集会とデモ。
だけど今だから明かすが、当時の俺は金欠で金がなかった。
実を言うと今はもっと金欠なのだが、買い置きの食料があるので何とか持ちこたえている。
失業保険の給付日が待ち遠しい。
話を元に戻そう。とにかくあの時の俺は金欠だった。東京駅までの電車代、近場の駅から乗っていったら約2千円。その金を払ったら観劇のチケット代がなくなってしまう。で、俺はどうしたかというと、東京まで電車には乗らずに自転車で行くことにした。
長距離走なら経験がある。夏、水戸の演学に通っている時に金欠になった時は、つくばから水戸まで自転車で走って行ったほどだ。後で自転車、ぶっ壊れたけど。つくばから東京まではたかが片道60km、いや70kmだっけか? とにかく水戸とだいたい同じくらいの距離だ。幸い、これまで宿泊に使った東横インのポイントがたまっていて、1泊無料で宿泊できる。これなら夜の休息も十分に取れそうだし、じゃあやってみよか。
実際に走ってみたら、時間はかかるけど何とか目的地までたどり着けた。しかし途中で道に迷ったりで、阿佐ヶ谷の小劇場についたのが開演の30秒前かそこらだったりして。
しかし問題は帰り道だった。11月1日、デモが終わった時にはまだ降っていなかった雨が、帰路についた頃に降り出した。しかもだんだん降り方が激しくなってくる。それでも最初のうちは気温も高くてやり過ごせたのが、柏を過ぎた辺りから寒くなってきた。しかも雨はだんだんと暴風の様相を呈してくる。どこかの店に入って一休みしようにも、金がない。食料は安物のバタピーに、東横インのフロントから大量にいただいてきたキャンデーだけ。利根川を渡る頃には真向かいから強風が吹いて、まるで前に進めない。おまけに俺はレインコートを用意してなかったせいで、衣服が雨でぐっしょり濡れて体温を奪われる。このままじゃマジで遭難するぞと思いながらも、走るのを止めることはできない。走るのを止めたらマジで遭難だ、明日は職業訓練校で介護の授業があるってのに。
それで、俺はひた走りに自転車を走らせた。走りながら色んなことを思い出していた。生憎、何を思い出していたかその中味はよく覚えていないのだが、1つだけはっきり覚えているのはタイタニックのことだ。映画タイタニックで厳寒の海に落ちた遭難者が、海の中でじたばたして叫びながら死んでいくシーン。俺もこのまま体温奪われていったらそのうちああなりそうだなとか考えつつ、映画のあのシーンやこのシーンを思い出していくうちに何だか勇気づけられた気分になって、気がついたら俺はセリーヌ・ディオンの『My Heart Will Go On』を歌っていた。どしゃぶりの雨の中、冷えた体で自転車を突っ走らせながら、あのタイタニックのテーマを歌っていた。極限状況で、相当に気分がハイになってたんだな。
結局、俺は遭難することもなく真夜中に家に帰ってこれた。すぐ風呂にお湯をはって飛び込んだ‥‥つもりだったのだが、最初は結構に熱かったはずのお湯が、しばらくするといやに冷たく感じる。これってほとんど水の温度じゃん? この冷たさを、最初は熱めのお湯ぐらいに感じていたとは、相当に体が冷え切ってたってことか? ヤバかったぞ。
で、翌日。俺はカゼ引いて学校を休むこともなく、何事もなかったかのように介護の授業に出た。
‥‥バカはカゼ引かねぇってか?
2009年11月14日
東京でデモやってきました
上の写真は11月1日、東京・日比谷の野外大音楽堂で開かれた11月集会の写真だ。
正式名称は『全国労働者総決起集会』という。
国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)はじめ、5つの組合の呼びかけで開催されている。
俺は今年も例のごとく、この集会とその後のデモ行進に参加してきた。
思えば11月集会に始めて顔出したのが一昨年。人権関係でコネのできた某・活動家のおばちゃんに誘われて参加したのがなれ初めで、以来今年で3回目。「今さら労働運動なんて」というご時世にあって、この集会は昔の過激さを引きずっていて、JRその他の企業を名指しで糾弾したり、デモ行進じゃ毎回のように逮捕者が出たり。そんなデモにどうして俺が参加してるのかっていうと‥‥よう分からん。成り行きというか、参加して当事者になるスリルが病みつきになったとでもいうか。
しかし一昨年、去年と比べると、今年のデモは比較的に平穏‥‥でもなかったな。デモ参加者は主催者発表で5850人。一昨年、去年と比べてじりじりと増えている。しかし、なぜか今年のデモは警察の警備がゆるかった。というか、ゆるい雰囲気が漂っていた。これまでは大人数を投入して、緊張した面持ちの制服警官や機動隊がデモのサイドをがっちり固めていたのに、今年は隊列が妙にスカスカだった。警官の表情にも緊張感があまり感じられず、「列を詰めてください!」とか、「そこ、間隔を開けないで!」とか、事あるごとに注意を飛ばしたり文句を言ったりする割には、同僚としゃべりながらだらけた姿勢で歩いていたり。この前、参加した三里塚のデモと比べても、えらい違いだな。何なんだこの緊張感のなさは?
その代わりウヨクの妨害は派手だった。街宣車が5、6台も出てきて、車の上からウヨクがスピーカーで怒鳴ってる。
「中核派は北朝鮮に帰れぇー!!」
とか何たらかんたら。その街宣車を1台につき10人ぐらいの警官が取り囲んでいて、彼らはデモよりもむしろウヨクを警戒しているように見えた。
一昨年、去年と比べてこの違いはどこから来るんだろ? やっぱり政権交代のせいか?
2009年11月01日
観劇:劇団新和座第3回公演『エレクトラ』
困ったぞ。俺の脳には演劇学校の講師の長谷川さんが常駐しちゃってる。
今年の5月から9月にかけて、水戸の演学でハードに絞られて、何度も何度も延々と演技にダメ出しされる時間の中にいたせいで、今もって思考パターンがあの時のまんまだ。そんなわけで10月31日のハロウィンの日、東京・阿佐ヶ谷のかもめ座まで行って、劇団新和座の公演『エレクトラ』観てる時でさえも、俺の脳内で長谷川さんがやたらとダメ出ししてくれる。
「違う、動きすぎだ」
「違う、どこにフォーカスがあるのか分からない」
「違う、台詞を喋ってるだけで体が演技していない」
「違う、それじゃ何言ってるか分からない」
「そこの立ち位置、そんなに相手と距離が離れてていいの?」
「台詞、噛んだね」
「やり直し」
下手に演劇の世界に足突っ込んでると、こういう弊害もあるわけで。
どうするかな~? ダメ出しといっても俺の主観なわけだから、他所の劇団にまで勝手にダメ出ししたら難癖つけてるように受け止められるかもな~。
とか、最初は悩んだのだけれど。
でも新和座のパンフ見たら、かもめ座芸術監督・武藤賀洋さんの言葉が載っている。
──なにぶん、まだまだこれからも研鑽を続けて参る身。皆様の叱咤激励が明日の私どもの糧となります。
と、書いてある。
そうか、叱咤激励されると励みになるという書きっぷりだし、ならば多少きつ目に批評しても大丈夫だろう。
そういうことで以下の文は、俺としてはどうにも譲れない点を批評っぽくまとめてみたものだ。
《1》エレクトラのココがヘン?
今回はダブルキャストということで、午後2時と午後7時の2回の上演で、次の役を別々の役者が演じている。
エレクトラ(ヒロイン) ならりえ/今松くるみ
オレステス(ヒーロー) 北村空/古川康史
アイギストス(悪役) 古川康史/北村空
先の上演と後の上演で、ヒーローと悪役の役者が入れ替わるというのが面白い。
全体的な印象では、先の上演は役者の動きが多くて動的。後の上演は静止したポーズでの演技が目立ち静的な感じがした。そして単刀直入に言えば、後の上演の方が先の上演よりもずっと完成度が高く見えた。逆の言い方をすれば、先の上演では色々と粗が目立った。私は水戸の演劇学校でプロの演劇講師から演技指導を受けた経験があり、それで余計に厳しい見方になってしまうのかもしれない。皮肉な言い方になってしまうかもしれないが、今回の2回の上演は演劇を学ぶ教科書に載せるのに相応しい実例とも言えるんじゃないか? そう思った。2時の回は『よくない例』として。7時の回は『よい例』として。
2時の回の難点のうち、ひときわ目立つものを教科書的に取り上げるならば、次のようになるだろう。
【1】エレクトラが動きすぎ
前半、コロスとの会話のシーンで舞台を縦横に大きく動き回っているが、動いている割にはエレクトラの意識がどこに向かっているのかが分からない。鬱屈した思い、苛立ちの表現と察せられるが、セリフの喋り方がずっと同じトーンに聞こえ、動き方も同じ歩調で絶え間なく動き回り続けているから、オーバーアクションで落ち着かない印象になる。見る側としては、「この女はこんなに思いつめているのか」ではなく、「なんでこの女はこんなに落ち着きが無く動き回っているんだ?」という印象を持ってしまう。
【2】エレクトラとクリュタイメストラの関係って何?
クリュタイメストラはエレクトラの妹。その彼女が登場してエレクトラとやり合うシーンを見て、「この2人って仲が悪くていがみ合ってる姉と妹なの?」と思ってしまったが、その後に2人で身を寄せ合って抱き合うシーンが続き、「え? この2人って仲がいいの? じゃあ、さっきのいがみ合いは何?」と思ってしまった。セリフだけを読めば、もう顔も見たくないだの、悪口にしか聞こえないセリフだらけなのだが、感情表現がセリフに引きずられすぎているようだ。セリフには書かれていない行間を読むなら、この姉妹は互いを思いやっているにも係らず、極限状態に置かれているが故に互いを非難する言葉を投げつけあうまでに追い込まれている。言葉ではそうだけれど、本当は仲良くしていたいのだ。どちらもお互いを失いたくないのだ。そのことをセリフ以外の演技、たとえば目線の合わせ方や、翳り・憂い・悲しみを帯びた声色、体をどこまで親密に近づけるかで表現しなければいけないのだが、そういった掘り下げが不十分なので、我を張っていがみ合っているだけの姉妹に見えてしまう。
【3】本当に人を殺しそうな女は派手に動き回らない
このご時世ではいい例えとは言えないが、ナイフを持って今にも人を殺しそうな人間というのを、舞台の上でどう演じるべきか? とにかくナイフを振り回して、最初の登場から派手に舞台を走り回って叫んで暴れてみせればいいか? いいや、そうではない。観客は最初のうちドキッとするだろうが。同じシーンが延々と続けば飽きてくる。舞台への集中が持続しなくなる。いくら役者が奇声を張り上げ、手足をばたばた動かそうと、そればっかりでは観る側はしらけてくる。
逆に、ナイフを持った人間が全身に力をみなぎらせ、険しい顔で殺気立った目線で相手をにらみつけ、じっと立っていたら? あるいはじりじりと近づいてきたら? 逆に観客はハラハラドギドキする。この男がナイフで襲いかかるのは今か今かと。ところがこの男がポーズはそのままでニヤリと笑いを浮かべたら? その表情の変化だけで観客は驚くだろう。一体、この男の心に何の変化が起きたんだ? だが手にナイフは握られたまま。次に何が起きるか分からない。自然と意識は舞台に集中する。──というように、上手い演技というのは動と静、序破急のテンポで緊張感を高め、巧みに観客の意識を舞台に集中させていくものだ。
エレクトラは、今にも人を殺しかねない女。その女がバタバタと動いてばかりでは、その女の存在自体が安っぽく見えてしまう。ここは動きを抑える──というよりも、動かずにいることで緊張感を高まらせ、動く時には緊張から爆発に転じるように一気に動く、というように、どこで動きどこで止まるかということを丹念に計算すべきだろう。
‥‥と、ここまで長く書いたが、まだまだ書き足りないことがあるんで、たぶん続きをまた書く。
今年の5月から9月にかけて、水戸の演学でハードに絞られて、何度も何度も延々と演技にダメ出しされる時間の中にいたせいで、今もって思考パターンがあの時のまんまだ。そんなわけで10月31日のハロウィンの日、東京・阿佐ヶ谷のかもめ座まで行って、劇団新和座の公演『エレクトラ』観てる時でさえも、俺の脳内で長谷川さんがやたらとダメ出ししてくれる。
「違う、動きすぎだ」
「違う、どこにフォーカスがあるのか分からない」
「違う、台詞を喋ってるだけで体が演技していない」
「違う、それじゃ何言ってるか分からない」
「そこの立ち位置、そんなに相手と距離が離れてていいの?」
「台詞、噛んだね」
「やり直し」
下手に演劇の世界に足突っ込んでると、こういう弊害もあるわけで。
どうするかな~? ダメ出しといっても俺の主観なわけだから、他所の劇団にまで勝手にダメ出ししたら難癖つけてるように受け止められるかもな~。
とか、最初は悩んだのだけれど。
でも新和座のパンフ見たら、かもめ座芸術監督・武藤賀洋さんの言葉が載っている。
──なにぶん、まだまだこれからも研鑽を続けて参る身。皆様の叱咤激励が明日の私どもの糧となります。
と、書いてある。
そうか、叱咤激励されると励みになるという書きっぷりだし、ならば多少きつ目に批評しても大丈夫だろう。
そういうことで以下の文は、俺としてはどうにも譲れない点を批評っぽくまとめてみたものだ。
《1》エレクトラのココがヘン?
今回はダブルキャストということで、午後2時と午後7時の2回の上演で、次の役を別々の役者が演じている。
エレクトラ(ヒロイン) ならりえ/今松くるみ
オレステス(ヒーロー) 北村空/古川康史
アイギストス(悪役) 古川康史/北村空
先の上演と後の上演で、ヒーローと悪役の役者が入れ替わるというのが面白い。
全体的な印象では、先の上演は役者の動きが多くて動的。後の上演は静止したポーズでの演技が目立ち静的な感じがした。そして単刀直入に言えば、後の上演の方が先の上演よりもずっと完成度が高く見えた。逆の言い方をすれば、先の上演では色々と粗が目立った。私は水戸の演劇学校でプロの演劇講師から演技指導を受けた経験があり、それで余計に厳しい見方になってしまうのかもしれない。皮肉な言い方になってしまうかもしれないが、今回の2回の上演は演劇を学ぶ教科書に載せるのに相応しい実例とも言えるんじゃないか? そう思った。2時の回は『よくない例』として。7時の回は『よい例』として。
2時の回の難点のうち、ひときわ目立つものを教科書的に取り上げるならば、次のようになるだろう。
【1】エレクトラが動きすぎ
前半、コロスとの会話のシーンで舞台を縦横に大きく動き回っているが、動いている割にはエレクトラの意識がどこに向かっているのかが分からない。鬱屈した思い、苛立ちの表現と察せられるが、セリフの喋り方がずっと同じトーンに聞こえ、動き方も同じ歩調で絶え間なく動き回り続けているから、オーバーアクションで落ち着かない印象になる。見る側としては、「この女はこんなに思いつめているのか」ではなく、「なんでこの女はこんなに落ち着きが無く動き回っているんだ?」という印象を持ってしまう。
【2】エレクトラとクリュタイメストラの関係って何?
クリュタイメストラはエレクトラの妹。その彼女が登場してエレクトラとやり合うシーンを見て、「この2人って仲が悪くていがみ合ってる姉と妹なの?」と思ってしまったが、その後に2人で身を寄せ合って抱き合うシーンが続き、「え? この2人って仲がいいの? じゃあ、さっきのいがみ合いは何?」と思ってしまった。セリフだけを読めば、もう顔も見たくないだの、悪口にしか聞こえないセリフだらけなのだが、感情表現がセリフに引きずられすぎているようだ。セリフには書かれていない行間を読むなら、この姉妹は互いを思いやっているにも係らず、極限状態に置かれているが故に互いを非難する言葉を投げつけあうまでに追い込まれている。言葉ではそうだけれど、本当は仲良くしていたいのだ。どちらもお互いを失いたくないのだ。そのことをセリフ以外の演技、たとえば目線の合わせ方や、翳り・憂い・悲しみを帯びた声色、体をどこまで親密に近づけるかで表現しなければいけないのだが、そういった掘り下げが不十分なので、我を張っていがみ合っているだけの姉妹に見えてしまう。
【3】本当に人を殺しそうな女は派手に動き回らない
このご時世ではいい例えとは言えないが、ナイフを持って今にも人を殺しそうな人間というのを、舞台の上でどう演じるべきか? とにかくナイフを振り回して、最初の登場から派手に舞台を走り回って叫んで暴れてみせればいいか? いいや、そうではない。観客は最初のうちドキッとするだろうが。同じシーンが延々と続けば飽きてくる。舞台への集中が持続しなくなる。いくら役者が奇声を張り上げ、手足をばたばた動かそうと、そればっかりでは観る側はしらけてくる。
逆に、ナイフを持った人間が全身に力をみなぎらせ、険しい顔で殺気立った目線で相手をにらみつけ、じっと立っていたら? あるいはじりじりと近づいてきたら? 逆に観客はハラハラドギドキする。この男がナイフで襲いかかるのは今か今かと。ところがこの男がポーズはそのままでニヤリと笑いを浮かべたら? その表情の変化だけで観客は驚くだろう。一体、この男の心に何の変化が起きたんだ? だが手にナイフは握られたまま。次に何が起きるか分からない。自然と意識は舞台に集中する。──というように、上手い演技というのは動と静、序破急のテンポで緊張感を高め、巧みに観客の意識を舞台に集中させていくものだ。
エレクトラは、今にも人を殺しかねない女。その女がバタバタと動いてばかりでは、その女の存在自体が安っぽく見えてしまう。ここは動きを抑える──というよりも、動かずにいることで緊張感を高まらせ、動く時には緊張から爆発に転じるように一気に動く、というように、どこで動きどこで止まるかということを丹念に計算すべきだろう。
‥‥と、ここまで長く書いたが、まだまだ書き足りないことがあるんで、たぶん続きをまた書く。