2009年11月14日
自転車で東京まで行って帰って雨に降られて
10月31は阿佐ヶ谷の小劇場で観劇。
その夜はホテルで一泊して。
翌、11月1日は日比谷で集会とデモ。
だけど今だから明かすが、当時の俺は金欠で金がなかった。
実を言うと今はもっと金欠なのだが、買い置きの食料があるので何とか持ちこたえている。
失業保険の給付日が待ち遠しい。
話を元に戻そう。とにかくあの時の俺は金欠だった。東京駅までの電車代、近場の駅から乗っていったら約2千円。その金を払ったら観劇のチケット代がなくなってしまう。で、俺はどうしたかというと、東京まで電車には乗らずに自転車で行くことにした。
長距離走なら経験がある。夏、水戸の演学に通っている時に金欠になった時は、つくばから水戸まで自転車で走って行ったほどだ。後で自転車、ぶっ壊れたけど。つくばから東京まではたかが片道60km、いや70kmだっけか? とにかく水戸とだいたい同じくらいの距離だ。幸い、これまで宿泊に使った東横インのポイントがたまっていて、1泊無料で宿泊できる。これなら夜の休息も十分に取れそうだし、じゃあやってみよか。
実際に走ってみたら、時間はかかるけど何とか目的地までたどり着けた。しかし途中で道に迷ったりで、阿佐ヶ谷の小劇場についたのが開演の30秒前かそこらだったりして。
しかし問題は帰り道だった。11月1日、デモが終わった時にはまだ降っていなかった雨が、帰路についた頃に降り出した。しかもだんだん降り方が激しくなってくる。それでも最初のうちは気温も高くてやり過ごせたのが、柏を過ぎた辺りから寒くなってきた。しかも雨はだんだんと暴風の様相を呈してくる。どこかの店に入って一休みしようにも、金がない。食料は安物のバタピーに、東横インのフロントから大量にいただいてきたキャンデーだけ。利根川を渡る頃には真向かいから強風が吹いて、まるで前に進めない。おまけに俺はレインコートを用意してなかったせいで、衣服が雨でぐっしょり濡れて体温を奪われる。このままじゃマジで遭難するぞと思いながらも、走るのを止めることはできない。走るのを止めたらマジで遭難だ、明日は職業訓練校で介護の授業があるってのに。
それで、俺はひた走りに自転車を走らせた。走りながら色んなことを思い出していた。生憎、何を思い出していたかその中味はよく覚えていないのだが、1つだけはっきり覚えているのはタイタニックのことだ。映画タイタニックで厳寒の海に落ちた遭難者が、海の中でじたばたして叫びながら死んでいくシーン。俺もこのまま体温奪われていったらそのうちああなりそうだなとか考えつつ、映画のあのシーンやこのシーンを思い出していくうちに何だか勇気づけられた気分になって、気がついたら俺はセリーヌ・ディオンの『My Heart Will Go On』を歌っていた。どしゃぶりの雨の中、冷えた体で自転車を突っ走らせながら、あのタイタニックのテーマを歌っていた。極限状況で、相当に気分がハイになってたんだな。
結局、俺は遭難することもなく真夜中に家に帰ってこれた。すぐ風呂にお湯をはって飛び込んだ‥‥つもりだったのだが、最初は結構に熱かったはずのお湯が、しばらくするといやに冷たく感じる。これってほとんど水の温度じゃん? この冷たさを、最初は熱めのお湯ぐらいに感じていたとは、相当に体が冷え切ってたってことか? ヤバかったぞ。
で、翌日。俺はカゼ引いて学校を休むこともなく、何事もなかったかのように介護の授業に出た。
‥‥バカはカゼ引かねぇってか?
その夜はホテルで一泊して。
翌、11月1日は日比谷で集会とデモ。
だけど今だから明かすが、当時の俺は金欠で金がなかった。
実を言うと今はもっと金欠なのだが、買い置きの食料があるので何とか持ちこたえている。
失業保険の給付日が待ち遠しい。
話を元に戻そう。とにかくあの時の俺は金欠だった。東京駅までの電車代、近場の駅から乗っていったら約2千円。その金を払ったら観劇のチケット代がなくなってしまう。で、俺はどうしたかというと、東京まで電車には乗らずに自転車で行くことにした。
長距離走なら経験がある。夏、水戸の演学に通っている時に金欠になった時は、つくばから水戸まで自転車で走って行ったほどだ。後で自転車、ぶっ壊れたけど。つくばから東京まではたかが片道60km、いや70kmだっけか? とにかく水戸とだいたい同じくらいの距離だ。幸い、これまで宿泊に使った東横インのポイントがたまっていて、1泊無料で宿泊できる。これなら夜の休息も十分に取れそうだし、じゃあやってみよか。
実際に走ってみたら、時間はかかるけど何とか目的地までたどり着けた。しかし途中で道に迷ったりで、阿佐ヶ谷の小劇場についたのが開演の30秒前かそこらだったりして。
しかし問題は帰り道だった。11月1日、デモが終わった時にはまだ降っていなかった雨が、帰路についた頃に降り出した。しかもだんだん降り方が激しくなってくる。それでも最初のうちは気温も高くてやり過ごせたのが、柏を過ぎた辺りから寒くなってきた。しかも雨はだんだんと暴風の様相を呈してくる。どこかの店に入って一休みしようにも、金がない。食料は安物のバタピーに、東横インのフロントから大量にいただいてきたキャンデーだけ。利根川を渡る頃には真向かいから強風が吹いて、まるで前に進めない。おまけに俺はレインコートを用意してなかったせいで、衣服が雨でぐっしょり濡れて体温を奪われる。このままじゃマジで遭難するぞと思いながらも、走るのを止めることはできない。走るのを止めたらマジで遭難だ、明日は職業訓練校で介護の授業があるってのに。
それで、俺はひた走りに自転車を走らせた。走りながら色んなことを思い出していた。生憎、何を思い出していたかその中味はよく覚えていないのだが、1つだけはっきり覚えているのはタイタニックのことだ。映画タイタニックで厳寒の海に落ちた遭難者が、海の中でじたばたして叫びながら死んでいくシーン。俺もこのまま体温奪われていったらそのうちああなりそうだなとか考えつつ、映画のあのシーンやこのシーンを思い出していくうちに何だか勇気づけられた気分になって、気がついたら俺はセリーヌ・ディオンの『My Heart Will Go On』を歌っていた。どしゃぶりの雨の中、冷えた体で自転車を突っ走らせながら、あのタイタニックのテーマを歌っていた。極限状況で、相当に気分がハイになってたんだな。
結局、俺は遭難することもなく真夜中に家に帰ってこれた。すぐ風呂にお湯をはって飛び込んだ‥‥つもりだったのだが、最初は結構に熱かったはずのお湯が、しばらくするといやに冷たく感じる。これってほとんど水の温度じゃん? この冷たさを、最初は熱めのお湯ぐらいに感じていたとは、相当に体が冷え切ってたってことか? ヤバかったぞ。
で、翌日。俺はカゼ引いて学校を休むこともなく、何事もなかったかのように介護の授業に出た。
‥‥バカはカゼ引かねぇってか?
2009年11月14日
東京でデモやってきました
上の写真は11月1日、東京・日比谷の野外大音楽堂で開かれた11月集会の写真だ。
正式名称は『全国労働者総決起集会』という。
国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)はじめ、5つの組合の呼びかけで開催されている。
俺は今年も例のごとく、この集会とその後のデモ行進に参加してきた。
思えば11月集会に始めて顔出したのが一昨年。人権関係でコネのできた某・活動家のおばちゃんに誘われて参加したのがなれ初めで、以来今年で3回目。「今さら労働運動なんて」というご時世にあって、この集会は昔の過激さを引きずっていて、JRその他の企業を名指しで糾弾したり、デモ行進じゃ毎回のように逮捕者が出たり。そんなデモにどうして俺が参加してるのかっていうと‥‥よう分からん。成り行きというか、参加して当事者になるスリルが病みつきになったとでもいうか。
しかし一昨年、去年と比べると、今年のデモは比較的に平穏‥‥でもなかったな。デモ参加者は主催者発表で5850人。一昨年、去年と比べてじりじりと増えている。しかし、なぜか今年のデモは警察の警備がゆるかった。というか、ゆるい雰囲気が漂っていた。これまでは大人数を投入して、緊張した面持ちの制服警官や機動隊がデモのサイドをがっちり固めていたのに、今年は隊列が妙にスカスカだった。警官の表情にも緊張感があまり感じられず、「列を詰めてください!」とか、「そこ、間隔を開けないで!」とか、事あるごとに注意を飛ばしたり文句を言ったりする割には、同僚としゃべりながらだらけた姿勢で歩いていたり。この前、参加した三里塚のデモと比べても、えらい違いだな。何なんだこの緊張感のなさは?
その代わりウヨクの妨害は派手だった。街宣車が5、6台も出てきて、車の上からウヨクがスピーカーで怒鳴ってる。
「中核派は北朝鮮に帰れぇー!!」
とか何たらかんたら。その街宣車を1台につき10人ぐらいの警官が取り囲んでいて、彼らはデモよりもむしろウヨクを警戒しているように見えた。
一昨年、去年と比べてこの違いはどこから来るんだろ? やっぱり政権交代のせいか?