QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
岩崎綾之
つくば市茎崎在住の社会人。普段の仕事は地元での工場勤務。請負社員やってます。副業としてノベルゲームの原稿書きのアルバイトもやっているけれど、小説形式のRPGというマイナーなジャンルなので知名度はイマイチ。仕事休みの日は映画を観に行ったりカラオケに行ったりすることが多かったけれど、2007年秋から地元の在日難民支援NPOの活動に関わるようになり、今ではそっちの会報の原稿を書いたりすることもあり。2008年10月よりどういうわけか劇団バリリー座に参加し、人手不足から役者を務める羽目に。それがこのブログを立ち上げたそもそものきっかけ。

PR

本広告は、一定期間更新の無いブログにのみ表示されます。
ブログ更新が行われると本広告は非表示となります。

  
Posted by つくばちゃんねるブログ at

2013年03月22日

気がついたら春

実は1年前の年末年始あたりから某・新しいことにチャレンジを始めていた。
そしたら、いきおい時間が足りなくなって、ブログ書いてるどころじゃなくなった。
ま、そっちのほうは何とかケリがついて、もしかしたらそろそろ結果が出るかもしれない頃合なのだけれど、あまり期待はしていない。

んで、約1年前から放置状態だったブログ。さっき確認してみたらまだアクセスできることが判明したので、ぼちぽちと書き込みを再開。

今日は江戸糸あやつり人形座の公演『マダム・エドワルダ』を観に行きます。詳細はこちら。

http://madame-edwarda.com/

サイトに紹介されている通り、原作はヤバい。
  

Posted by 岩崎綾之 at 07:07Comments(0)人生いろいろ

2012年03月20日

近況

 2月12日、「夏の夜の夢」の公演が終わった。
 昨年の12月から練習が始まり、2月2日のゲネプロに続いて翌3日に本公演を迎えたこの公演は、6日間の公演で1300人を超える観客を集め、地元の新聞や演劇人にも好評で、興行的に成功した。
 しかし個人的には公演までに色々あって、かなりしんどい思いをした。水戸芸術館での芝居の中でも特に練習時間が長かったことはもとより、色々とアクシデントに見舞われたのがきつかった。新年明けに負傷して救急車で病院に運ばれたり、公演初日の1週間前には実父が亡くなったり、その1週間後には実父の姉つまり私の叔母が亡くなった。それで公演最初の週は叔母の葬儀に出た後、喪服のままで劇場に向かうことになってしまった。
 このように色々あったが、この一連の出来事のおかげで私の人生に一つの節目が出来た。実父の死で、私の実家に住む母が独りきりになってしまったので、その世話をするために私も長年住みなれたつくば市のアパートを近いうちに引き払い、実家に引っ越す予定を立てている。実家は同じ茨城県内にあり、利用する最寄り駅も2駅離れているだけだ。引越しはまだだが、生活の中心はもう実家の方に移りつつある。
 つい3日前の3月17日、つくば市でのバリリー座の公演が終わった。水戸芸術館の主催する演劇に比べたらまったくのアマチュアレベルで、野外劇の予定が当日雨に降られてしまい、見に来てくれた観客も10人に達したかどうかというほど。それでも何もせず中止にするよりも良い結果になったようで、これも一つの節目のように思える。
 観劇にもしばしば行くようになり、去る3月3日には水戸の演劇仲間の劇を見に水戸まで行き、3月9日には「夏の夜の夢」で妖精の女王を演じた方の劇が東京であったので、それを観に行った。昨日も、筑波山の麓で地元NPOの野良仕事に参加したその後で、観劇のために水戸まで行った。明日はやはり水戸出身の演劇人で、私の先輩に当たる方の公演が東京の小劇場であるので、それを観に行く。
 ついでに書いておくと、4月からは地元の田んぼ塾での米作りが本格的に始まるので、それに参加する。
 近況はそんなところだ。  

Posted by 岩崎綾之 at 06:50Comments(2)人生いろいろ

2012年02月10日

公演告知 「夏の夜の夢」2週目突入

指物師スナッグとライオンの役で出演している「夏の夜の夢」ですが、無事に第一週目を終えました。

今日より第二週目の公演が始まります。

2月10日から2月12日までの金土日、水戸芸術館での上演です。

詳しくはこちらのサイトをご覧ください。

http://arttowermito.or.jp/theatre/theatre02.html?id=180  

Posted by 岩崎綾之 at 08:51Comments(0)演劇

2012年01月31日

公演告知

今年は年明けからいろいろあって。

正月明けに怪我して救急車で病院に運ばれたり。

つい先週の金曜日には実父が亡くなったり。

明日にはその葬儀を控えていたりして。

それですっかり告知が公演ギリギリになってしまいましたが。




2月3日から2月12日の金土日、水戸芸術館で上演される「夏の夜の夢」に出演します。

指物師スナッグの役です。

詳しくはこちらのサイトをご覧ください。

http://arttowermito.or.jp/theatre/theatre02.html?id=180  

Posted by 岩崎綾之 at 11:27Comments(0)演劇

2011年12月30日

ネタな夢の話

 これから書くことはオレが見た夢の話だし、基本的にネタなんで、現実の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません‥‥たぶん。
 つい2、3日前だけど、変な夢見ちまったよ。夢の中で、オレは某・うちの座長と二人して部屋の中で寝ていた。どういう部屋かというと、『リング』とか『らせん』とか『仄暗い水の底から』とかのジャパニーズホラーに出てきそうな、なんだか幽霊でも出そうな薄暗い部屋。そこで二人して布団敷いて寝ていたんだが、オレは寝相の悪い座長に足でガシガシ蹴飛ばされて、布団の外に追い出された。しばらくすると座長がむくりと起き上がって、部屋の天井の隅を指差して、
「あそこに何かいる」
と。でもオレには何も見えない。
「え? 何もいないよ?」
オレが天井の隅のその場所へ手を伸ばして動かすと、座長がまた言う。
「そこに手を突っ込むとヤバいよ」
 そんな夢だ。ん~、いったい何が見えたんだろう? 女の生首でも浮かんでいたか?

 振り返ってみると演劇をやり始めてから、演劇の夢を見ることが多くなったね。去年、水戸芸術館で『ドン・キホーテ』に出演した後に見た夢では、『ドン・キホーテ』の続編に出演していた。劇の中では風車を巨人と間違えて槍構えて突進していくドン・キホーテが、夢の中の続編ではなんと自分が巨人になって出てきた。ビルの上からドン・キホーテの頭がぬうっと突き出した時には、「こりゃすげぇ!!」って思ったよ。おい、その時点で夢だと気づけよ自分。

 それから3月11日の大震災と原発事故からしばらく経って見た夢もキョーレツだった。夢に出てきたのはI県M市にある某・芸術館の野外ステージ。その舞台に立っていたのはM市で活躍する某パフォーマンス集団。今では巨●で売り出し中の某女優が出ていて、見ているといきなり相手役にド派手なスカートめくりをやられちまった。
 あ‥‥。
 見えちゃった。
 白いパンツ丸見え。
 まぶしい白さがしっかり目に焼きついちまった。
「どうしたんですか?」
 オレの隣にいた女の子が声をかけてきた。
「あ‥‥ちょっと、固まっちゃいました」
 硬直したまま答えるオレ。
 なんなんだよこの夢は~? まさか正夢だったりして?
 いやでも、この某パフォーマンス集団の芝居をこの前もI県M市で見たけど‥‥あ、これは夢の話じゃなくて現実の話ね。でも舞台は野外ステージじゃなくて小ホールだったし、某・巨●女優も出演してたけどパンチラはなかったし、その代わりキャバレーの女王様よろしくドレス着てステージのど真ん中で椅子に座っちゃって、他のメンバーはシモネタ全開でヘソ出しルックのレビューやって歌いまくり踊りまくり。オレ、ステージで歌うの初めて聞いたよ『く○み☆ぽ○ち○』。あの夢が正夢だったとして、もしかしてもしかすると来年あたり某・芸術館の野外ステージでパンチラやってくれるのかな~? 楽しみだな~ドキドキワクワクだな~。
 そういやもうすぐ正月だ。どんな初夢見るんだろ? 大地震や原発事故の夢だったら嫌だぞ。  

Posted by 岩崎綾之 at 16:13Comments(1)夢の話

2011年12月30日

オーディション受かっちゃったよ その2

 年末で仕事がなくてヒマになった。だからこうしてブログの日記なんぞをつけている。
 で、先日、ちょっとした用事があって水戸に行ったら、ン十年くらい年の離れてる知人とばったり出会っちまって、出会った途端に言われた言葉が
「綾之さん、心配してたんですよ~。ちゃんと食べてるんですか~?」
 ん~、ブログにろくでもないことばかり書いてるせいか、なんか自分で思ってるよりも周りに心配されてるようだ。で、次に言われたのが、
「ブログの続き、書いてくださいね」。
 はぁ~? 水戸でも読まれちゃってるんだ。ま、オーディション受かったあの劇に関しては、既にその筋からの正式発表があって、チラシも配られ始めたみたいだけど、とりあえずこのブログでの告知は来年までお預けということにしておこう。

 んじゃ、話の続きだ。

 オーディションの不合格通知をお気楽に待っていたのに、届いたのはまさかの合格通知。はぁ~!? 何でこうなるのよ!? ちょっと、想定外だよコレ!!
 思えばあの時点で、出演断るって選択肢もあったんだよな。でも、流石にそんな気は起きなかった。せっかく受かったんだし、こんな滅多になさそうなチャンスを逃すことは無いと思った。
 しかし1つ、大問題が。当時のオレは東京の某所で派遣の3K労働やっていた。長い失業生活の末に見つけた仕事だっだが、その仕事を続けていたのでは芝居の練習時間が圧倒的に足りなくなる。こりゃもう転職するしかない。それも練習の始まる12月までに。合格通知が届いたのが10月の初めだったから、残された期間は約2ヶ月しかない。ひぇ~!!
 とはいっても、1年半近く続けていた3K労働もそろそろ辞める潮時かと思って、9月くらいから再就職活動を始めてはいた。とりあえず地元の工場の夜勤の仕事がお手頃だと思い、求人情報誌で手頃そうなのを見つけては応募して、派遣会社の面接会場にも足を運んだりした。ところがこれがことごとく不採用。焦りながらも求職活動を続けていたある日、たまたま新聞に折り込まれていた求人チラシを手に取ったら、お手頃そうな仕事が目に入った。警備の仕事だ。事務所は家からも楽に通える千葉県某市。とりあえず面接受けるだけでも受けてみようと思ってアポを取り、事務所に行って面接受けたら、最後に面接官からこう言われた。
「それじゃ、明日から来てくれるか?」
 はぁ~!? こんなに簡単に決まっちゃっていいの?
「すみません、今週は前の仕事の予定があるので」
 と、その場では断りを入れて、その週のうちにバタバタとせわしく手続きを終えて、週末に退職。翌週からは新しい仕事に入った。それが11月上旬の話だ。
 以来、オレは警備の仕事を続けながら、なるべく仕事の休みを多く取るようにして、劇の練習を続けていたが、年末年始になって仕事も演劇も小休止。振り返ってみると、すげぇ変わりようだよな、オレの生活。

 あ、そういえば。いつぞや観た映画『ブラック・スワン』、あれもヒロインが絶対受かるはずがないと思っていたオーディションに受かっちまう話だったよな。んで、それが惨劇の幕開けだったと。わはははははははは!!  

Posted by 岩崎綾之 at 16:10Comments(0)演劇

2011年12月21日

オーディション受かっちゃったよ その1

オレはこんなところでいったい何をやっているんだろう?

気がついたら転職して。
気がついたら水戸で芝居の練習が始まって。
気がついたら水戸と土浦と龍ヶ崎の稽古場で、3つの芝居を掛け持ちで練習していて。
気がついたらバリリー座とジ・アンラッキー・ボーイズのクリスマス公演が終わっていて。
気がついたらもうすぐクリスマス、
気がついたらもうすぐ新年。

そいえば某日、水戸の某・芸術館に行った時、芸術館の主とばったり出会っちまって、
「あんた、よく生きてたね~」
って、しみじみした口調で言われちまったもんだから、思わず、
「自分でも生きてるのが不思議なんですよ」
って、答えちまったよ。いやでもあのお方と顔合わせるのって、ほんっとに久々だったし。思えば3月11日の大地震が起きてから、一度も会ってなかったもんな~。

んで、オレは今、ネットカフェにこもってパソコンと向き合ってるわけだけど、とりあえずあのことを書いておくかい。

実は去る9月の某日、オレは某所でオーディションを受けてきた。以前からオレが世話になってる演劇関係のところで、劇の中味は演劇好きなら誰でも知っているであろう古典劇。演出担当は東京の演劇界で活躍するベテランだとかで、前情報では難易度が高そうな感じだった。

でも、最初から諦めてしまうのも癪だったし、ダメでモトモト、受かればラッキーってな感じでオーディションの会場へ行ってみた。オレは夕方の時間を指定されていたが、会場には応募者が30人くらい集まっていて、聞けば他にも30人くらいが応募してきて、そちらの審査を昼間のうちにやったとか。そのうち採用になるのは10人くらいだとかで、以前に同じ舞台に立ったベテランの役者もぞろぞろ参加していたし、こりゃもう競争率が高くて合格は無理だろうとさっさと諦めた。まあオーディション自体はプチ演劇学校みたいな感じで、踊ったり、課題にそって演技をしたり、終始楽しいムードで続いたし。演劇経験の少ない応募者も少なからずいたこともあって、主催者の方でも「合否は別として、楽しい時間を過ごしていただければ嬉しいです」みたいなことを言っていたし。

それでオーディションが終わった後も、オレはお気楽に不合格の通知が来るのを待っていたわけだ。

ところが後日、オーディションの主催者から郵便物が届いた。
何だこりゃ? 不合格通知にしては、やたらでかくて中味のありそうな封筒だな?
そう思って開けてみたら、入っていたのは通知書ほか数枚の書類。通知書にはこんなふうに書いてあった。



 ──審査の結果、出演をお願いしたく──




 うわ大変だぁーっ!!!!(その2へ続く)  

Posted by 岩崎綾之 at 23:35Comments(3)演劇

2011年11月19日

レビュー書きました

☆携帯からアクセス中

ついこの前の11月13日、知人に勧められて、東京の下北沢にある小劇場で芝居を観てきました。劇団モナカ興行による『43』というタイトルの芝居です。

実験的な芝居だそうで、ずいぶん変わった芝居でした。

芝居を観た観客によるレビューが、以下のサイトに掲載されています。その中に私の書いたレビューもあるので、興味ある方は読んでみてください。

http://www.wonderlands.jp/archives/19353/

本名で載っちゃってるけど、ま、いいか。  

Posted by 岩崎綾之 at 16:12Comments(2)演劇

2011年10月24日

言い訳:だって色々あったんだよ~

 ごめんよ~。ブログ再開宣言しておいて、また2ヶ月も日記つけるのサボっちまっただよ~。だってあれから色々ありすぎたんだよ~。金欠はいつものことだけど、8月下旬からまた暑くなって夏バテで激ヤセしちゃったし~。この夏、体重が3kg以上も減って8月26日に受けた会社の健康診断、秋になって結果が返ってきたらこんなこと書かれしまっただよ~。

『標準体重に達していません。適度の食事・適度の運動を心がけて下さい。』

 あへぇ~。
 夏過ぎてからも元気が出ないし、何もかも面倒になって部屋の中散らかしっぱなしだし、動きが鈍くなるし、寝てばかりだし。な~んか体の血が薄くなってねぇか~? って思ってたら、本当に血が薄くなってただ~。2月の健康診断の時と比べると、

 赤血球数 468  → 414
 血色素量 15.1 → 13.4

 HDLコレステロール 107 → 92
 HDLコレステロール 125 → 77

 中性脂肪 60 → 44

 体重   52.9 → 49.7
 胸囲   70.4 → 66.3

 あへぇぇぇ~~~。

 んで、今じゃ金さえあれば安いモン買って食べてばかりの毎日送ってますだ~。昨晩、夜のスーパーで1枚700円以上もするピザが1/3値引価格の260円くらいで売ってたの見つけて、思わず買って晩御飯にしてしまいましただ~。んで今日は地元の野菜直売店で秋の収穫祭イベントがあって、けんちん汁が1杯くらいで売ってるらしかったんだけど、行ってみたら売り切れですた~。んでも6カップ1パックのヨーグルトを100円で買えたり、普通1個100円で売ってそうなクロワッサンが2個で買えたり、コーヒー1杯50円だったり、ポークウインナーの試食やってたりで、おやつを楽しんできましただ~。

 あ~、まじでマジメに日記つけんといかんな~。  

Posted by 岩崎綾之 at 03:03Comments(3)人生いろいろ

2011年08月23日

涼しくなってきたんでブログ再開

 いや~、暑いと頭が働かなくなるって本当だね~。
 ついこの前まですげぇ暑くてさ~。深夜の3K労働で熱中症になりかけながら毎晩働いて、仕事が終わって帰って寝ていると、アパートの部屋の気温がいっつも35度超えちゃってさ~。いつぞや、ふと部屋の温度計を見ると39度、おいマジかよ~!? そんな部屋の中でも最近はすやすや眠れるようになるんだから、馴れというものは恐ろしいというか。
 それにしても、かなり長いことブログをサボっちまった。だって色々あったんだもの。夏カゼに夏バテに過労に金欠。7月になって税金の還付金が入って、お金に少し余裕が出来た。それで夏の暑い最中、自炊するのが面倒になって、牛丼屋さんとかスーパーのお弁当とかで外食続けたら、熱中症で死にかけた。というわけで、普通に売ってるランチとかお弁当ではロクな栄養補給ができないらしいことが判明。見た目ばかり美味しそうだけど栄養カスカスの食い物で金ばかり取りやがって。資本主義のばかやろぉ~。新自由主義のばかやろぉ~。そういうわけで今では有機野菜と野菜ジュースで毎日の栄養補給を心がけているんだが、前と比べるといくらか体調も改善したようだ。そうそう、これって7月24日に開かれた、ガン予防セミナーで推奨されてた食事なんだよね。野菜をたっぷり食べるとガンの予防に効くけど、猛暑に耐えるのにも効果あるみたいな。

 んでも先週の金曜日に大雨が降ってからは、8月とは思えないくらい涼しぃ~!! 天然クーラー最高っ!! なんか秋みたいだぜ。
 でぇ、暑かった間のことをちょっち振り返ってみよ~。ブログはずっとサボりっ放しだったけど、暑かったからって、いっつも寝てばかりいたわけじゃないぞ。これまで何していたかというと。

 6月11日、つくば市の脱原発のデモに参加して。
 6月18日、写真家の親戚が開いた写真展を観に行って。
 6月19日、水戸子供演劇アカデミーの卒業公演を観に行って。
 6月24日、仕事帰りに自殺現場を目撃して。
 6月25日、またまた親戚の写真展を観に行って。
 6月26日、龍ヶ崎子どもミュージカルの公演を観た後、水戸のデモに参加して。
 7月3日、五百羅漢展と劇団唐ゼミの公演『海の牙』を観に行って。
 7月16日、龍ヶ崎の田んぼ塾の皆さんと『食と農の科学館』を見学して。
 7月17日、いわき市の反原発デモに参加して。
 7月24日、ガン予防セミナーと脱原発ネットワーク茨城の総会に参加して。
 7月31日、水戸へ行って演劇事務所99の朗読会を鑑賞して。
 8月2日、龍ヶ崎の田んぼ塾の皆さんと『水田利用研究室』を見学して。
 8月13日、うちの座長と一緒に取手の花火大会を観に行って。
 8月14日、バリリー座の夏公演に出演して‥‥。

 で、ついこの前の8月20日。牛久市女化の夏祭りに行ってきた。一昨日はつくば市で開かれる予定だったイベント、オーガニックファーマーズヴィレッジへ行ってみたけど、会場だったはずの場所に着いたら何もない。図書館に寄ってネットで調べてみたら、雨天中止でやんの。でも、近場の筑波銀行2Fのギャラリーで、農村画家の飯野農夫也展を無料でやっていたのを観ることが出来たんで、ま、いいか。

 降り返ってみると、色々やってるな~。
 ちなみに今回アップした写真は、6月11日のつくばのデモに参加した時のアレだ。なぜか南相馬市から逃げてきた馬ということになってしまった。


  

Posted by 岩崎綾之 at 06:56Comments(3)人生いろいろ

2011年05月31日

5月29日、水戸へ

 
 去る5月29日、台風の影響で荒れ模様の天気の最中、私が水戸へ出かけたのは、水戸の演劇仲間の芝居を観にいくためだった。
 芝居は水戸の町中にある小さな稽古場で、ささやかに行われた。上演時間は1時間足らずの短い芝居だが、3月11日の大震災の後、水戸の演劇活動は久しく中断していたのだし、芝居を観た後にはこれでようやく水戸演劇の復興が始まるのだなと、改まった気持ちになった。


 芝居の後、水戸の街中を散策してみた。水戸駅の北側は高台にあるせいか、地震の被害は思ったよりも目立たない。懐かしい水戸芸術館にも立ち寄ってみたが、以前から告知されていたようにまだ復旧工事中だ。敷地内はひっそりと静まり、人影も見当たらず、空虚な感じがした。


 駅の南側を歩いてみると、こちらにはまだ震災の爪跡が生々しく残っている。3月11日から1ヶ月後の4月11日も大きな余震があったそうで、地震の揺れはむしろこちらの方が大きかったとも聞く。この辺りはもともと千波湖が広がっていたのを埋め立てた土地だったらしいが、そのせいで液状化の被害が大きく出たのかもしれない。交差点では地面の沈下で相当な量の水が溜まり、車が派手な水しぶきを跳ね上げて走っている。家の土台だけが沈下せず、回りの地面から浮き上がっていたり、建物と地面の間に隙間が出来てしまった箇所も目立った。歩道の状況も悪く、凹凸が出来て歩きにくい。震災後の補修で取り除かれたとおぼしき石のタイルが、歩道沿いにまだ積み上げられたまま残されている。陰気な天気のせいもあってか、歩くうちに沈痛な気分になってきた。
 水戸市役所の近くにはお気に入りのアイリッシュ・パブがあったのだが、久々に飲みに行こうと思って行ってみると店の入居ビルが改装工事中で、店が見当たらない。仕方なく駅近くのサイゼリアで一杯やる。このサイゼリアは水戸演劇学校の打ち上げが行われた店で、私にとっては思い出の場所なのだが、かつて賑やかなパーティーが行われた大部屋は節電で暗く、店もあまり客が入っていない。空虚な気分にひたりながらワインとピザで腹ごしらえしてから、すぐ近くにあるシネコンへ映画を観に行った。
 『ブラック・スワン』──水戸で観ようと思っていた映画で、映画が始まるやすごく入れ込んで観てしまった。バレエ界を舞台にした映画だが、やはり舞台芸術ということで自分のやっている演劇にも通じるものがあり、突き放して観られないところがある。クライマックスで披露される、ブラックスワンのダンスは見事で、あのシーンが未だに脳裏に焼きついている。
 映画を観た後、またサイゼリアへ行ってワインとパスタで腹ごしらえして、水戸発の上り最終電車で帰宅した。
 大震災の後、初めて訪れた水戸。芝居と映画とで高揚感を味わいながらも、現実の街の有様を見て喪失感と空虚感とに襲われ、全体的に気疲れした一日だった。しかし、再生はこの日より始まる。そんな特別な一日だ。  

Posted by 岩崎綾之 at 20:40Comments(1)水戸ネタ

2011年05月17日

筑波山の麓で田植え

 はい、また恒例の田植えイベントがやって参りました。
 障害児支援と有機農業のNPO、自然生クラブが筑波山の麓にある田んぼでやっている、田植えと田楽舞のイベントです。
 私と自然生クラブさんとのお付き合いは、そうですね~。かれこれ1年半くらいになるでしょうか? 一昨年、クラブが秋の芸術祭を開いた時、筑波道の途中にある田井ミュージアムまで自転車で出かけ、作品展やお芝居を観てきたのが馴れ初めです。
 で、去年の5月。自然生クラブが田植えイベントをやっているよ、という話を聞いた私は、じゃあ田植えに挑戦してみるかと思い立ち、地下足袋買ってクラブの田んぼへ出かけました。ところが現場へ着いたのはいいけれど、虫だらけの泥田に恐れをなして、結局田んぼへは入らずに畦でずっと見学することになってしまいました。だって有機農業は農薬使わないから田んぼに虫が出るんですよ~。水面をすいすい泳いでいるアメンボぐらいならまだ可愛げがあるけど、田んぼの水をよく見るとニョロニョロ泳いでいく細長いものが‥‥。げぇーっ!! これって蛭(ヒル)じゃん!? 一瞬、昔見た恐怖映画か何かのシーンが脳裏を過ぎります。ドロドロの沼地に体がどっぷり漬かってしまい、沼地から上がってみると体中に無数の蛭が‥‥うわあああああっ!! でも子供達はそんな田んぼでも面白がって、素足でじゃぶじゃぶ入っていきます。子供達にとっては泥んこ遊びみたいなもんなんでしょう。で、蛭に血を吸われたくなかった私は、ずっと畦に立ちすくしたまま田植えの終わるのを待ち、それでも出されたお昼ご飯だけはしっかり食べて帰ってきました。
 それが去年のお話です。
 そして今年、私は農業用のゴム長靴を買って、自然生クラブの田んぼに向かいました。





 実は昨日、つくば市のさる公園で開かれたリレーフォーライフに参加して、疲れの溜まっていた私は寝坊して、田んぼへの到着が1時間ほど遅れてしまいましたが、クラブのスタッフの方も参加者の方も笑顔で迎えてくれました。今回も去年と同様、一反歩くらいのたんぼに60~70人くらいの人が集まって田植えです。私の後からも学生の一隊がマイクロバスでやって来て、いや賑やかですこと。
 私はゴム長靴に履き替えると、中高年のおじさんとペアを組んで田んぼに入りました。
 田んぼは文字通りの泥田で、長靴が泥の中に20cmくらいズボッとめり込みます。いったんめり込んだ足を引き揚げるのにかなり力がいります。一歩一歩歩いていくだけで重労働って感じで。田植え機とか機械使えば楽にできるんでしょうけど、クラブの田んぼは人海戦術の手植えです。やっと1列10mばかりを植え終わると、おじさんと私は休憩を取ることにして、後はのんびり田植え見物です。
 やがてお昼の時間になりました。
 実言うと、私は田植えよりもこっちの方が楽しみだったりして。
 お昼のメニューは、おむすび、から揚げ、タンドリーチキン、サラダ、煮物、スイカにミカンにリンゴ、それにゆで卵。でも、おむすびは1人2個までで、から揚げは3つだけ。「物足りないな~」と思いながらあっという間に平らげて、田んぼの回りをぶらついていたら、配食係さんの大声が聞こえました。
「全員に食事が行き渡りましたので、これより御代わり解禁で~す!」
 やったぁ! ‥‥あ、でもさっき使った紙のお皿と割り箸、ゴミ箱に捨てちゃったよ~。エコの神様、ごめんなさ~い。と思いつつ、私は新しいお皿と割り箸をもらって御代わりもらいました。多分、1人で2人分か3人分は食べたかもしれません。ごちそうさまでした。ご飯を食べた後は自然生流の田楽舞を見物しつつ、時々まだ残っている唐揚げやフルーツをつまみ食いしながら、のんびりした時間を過ごしました。
 多分、来年もまた参加します。  

Posted by 岩崎綾之 at 06:59Comments(0)イベント

2011年05月17日

リレー・フォー・ライフに行ってきました

 5月14日に開かれたリレー・フォー・ライフに行ってきました。
 会場はつくばEXの研究学園都市駅に近い公園です。
 がん患者の支援のために、5年前から開かれているというイベントですが、初参加の私の印象では、肩の張らないのんびりしたイベントという感じがしました。
 私が会場に到着したのは、開会式が行われる少し前の午後4時45分頃。ちょうど応援参加のソーラン隊がアトラクションをやっていて、なぜか茨城のヒーロー・イバライガーもやって来て子供達と一緒に記念撮影をしていたり。ただ全体的に、派手なアトラクションや演奏は少なく、これはやはり実行委員会のホームページで告知されていたように、震災のことを考慮して自粛したためでしょうか? そんな中でも子供達は、日本中にはびこる自粛ムードなどお構いなしに元気にはしゃぎ回っています。私としては、もう少し元気なイベントにしても良かったかな? と思いました。
 開会式では筑波大学の先生に、つくば市の大病院の先生に、日本対がん協会の先生など、すごい肩書きを持っている方々が入れ替わり立ち代り挨拶をされました。続いてエコバルーンのリリース。エコバルーンとは白い鳩の形をした風船なので、リレー・フォー・ライフの協賛企業の提供だそうですが、それにしてもこの風船のどこがエコなのでしょうか? もしかして光分解性のプラスチックとかで作られていて、森に落ちても大地に吸収され、海に落ちてウミガメに食べられてもきちんとお腹で消化されちゃうようにできてるんでしょうか? 興味があるので後で調べておきます。



 で、晴天だった当日も午後5時くらいになるとだんだん雲ってきたのですが、西の空だけは晴れていて夕日が差し、バルーンが一斉にリリースされると、うまい具合に東からの風が吹いていたものだから、夕日の差す西へ西へさぁーっと流れていきます。会場には神秘的な癒し系のBGMが流れていましたが、その音楽の効果もあってか、風に乗って陽光の中へ消えていく白いハト風船の群れが、とても神々しく見えました。




 反対側の東の空を見ると、ほんのお湿り程度に降ってきたにわか雨が、沈みゆく太陽の光を受けてうっすらと虹がかかっています。
「あっ、虹だ!」
 気がついていた人から声が上がります。
「ステージの後ろをご覧下さい。うっすらと虹がかかっています。自然もこのイベントを祝福しているようです」
 そんなアナウンスまで流れてきました。天気といい風向きといい虹といい、どこか出来すぎな? と言ったら失礼かもしれませんが、自然との絶妙なバランスがすごい効果を生み出したなと思いました。こういうシーンは観ようと思ってもなかなか観られません。
 続いてリレーが始まります。公園に設けられたお散歩コースを、参加者がリレーをつないで延々と翌日の朝まで歩き続けるのです。とても気の長いイベントです。もちろん休息もアリだし仮眠も取れるし、スポーツマッサージのサービスを受けられるコーナーも準備されています。
 リレーはチーム単位で参加する方も多く、中には個人の参加者も受け入れてくれるチームもあるというので、私はそのうちの1つに入れてもらいました。ところがこれが、すごくがんばって歩いちゃうチームで、一緒に歩いていく人を次々と追い越していきます。まあ、私は筑波から水戸までの約60キロを自転車で往復しちゃうようなことをやっているし、長歩きはそんなに苦でもないんですが、我らがチームを追い越していくのは若さに任せて走っていく医療学校の学生くらい。これじゃがんばりすぎだと、チームの人達も苦笑しています。
 コースは1周が約500m。コース沿いには応援メッセージの書かれた紙製のルミネが並んでいて、サックスやコーラスの静かめな演奏があったり、メイド服のお姉さんが発光するグッズを売っていたりで、ずっと歩きっぱなしでも辺りを見ているとそんなに飽きがきません。歩きながら私はチームの方と話をしたり、他の方々の話を聞いたりしていましたが、話によるとこのチームはガン闘病記ブログのつながりから生まれたチームということです。ブログの名前も教えてもらったので、後でチェック入れておきます。
 夜の8時半を周り、コースを25周した頃合に、私はチームの皆さんに別れを告げて会場を去りました。明日には自然生クラブの田植えイベントがあり、流石に朝まで歩き続けるわけにはいきませんもの。ウォーキングが終わった後、私はマッサージのコーナーに寄って、医療学生のボランティアの方にマッサージをしてもらいました。いゃあ、マッサージしてもらうって気持ちいいなぁ~。背中のマッサージはくすぐったかったけど。
 このイベント、多分来年も参加します。  

Posted by 岩崎綾之 at 06:52Comments(0)イベント

2011年05月13日

リレー・フォー・ライフ 2011in茨城 に参加します

『リレー・フォー・ライフ2011 in 茨城』開催概要

日 時:平成23年5月14日(土)15:00受付開始 17:00開会式~15日(日)10:30閉会式
場 所:研究学園駅前公園(つくば市葛城根崎 160-2)
参加費:1,000円(ただし、がん経験者および中学生以下は無料)

 リレー・フォー・ライフは、がん患者を支援するチャリティーイベントです。「がんは24時間眠らない」との意味合いから、参加者は夜通しリレーをつないで会場を歩き、患者を支援し共に生きることをアピールします。震災と原発事故の影響で規模は縮小されましたが、イベントそのものは予定通り行われます。

 福島第1原発事故で放射能汚染が広がり、今後数年の間にガン患者が急増することが心配されています。私もガン対策のことで色々と情報を集めていたのですが、ネットワークを広げていくいい機会になりそうなので、このイベントに参加することにしました。

 地元・茨城のミニコミ紙、常陽リビングのサイトにもイベントの紹介文があるので、ご参考までに。

  http://www.joyoliving.co.jp/topics/201104/tpc1104084.html  

Posted by 岩崎綾之 at 07:09Comments(0)ボランティア

2011年04月18日

田んぼ塾に入りました

 だってさ、昔から騒がれてたじゃない。日本の食糧自給率の悪さ。
 ついこの前までTPP参加を巡って農水省と経産省、JAと経団連、それに一般市民の賛成派と反対派がガチにバトロワってたところへ、大震災と大津波と原発事故が一気に襲ってきたもんだから、そっちの議論は棚上げってムードが漂ってるけど、ヤバいんだよね。
 政府の一部の人間は、この大混乱の機に乗じて火事場泥棒みたいな強引さで、TPP参加を一気に進めてしまおうと考えているらしいんだな。浜田和幸議員が自分のサイトでその事を取り上げているし、本も出してるし。

 でもこの前、あの雨宮処凛さんが土浦でトークショーを開いた時、それを聞きに言った私が国債大暴落とTPP問題のからみで質問したら、「そんな難しい話についていけませ~ん!」ってなこと言われてしまった。そんなに難しいかな~。毎日毎日、新聞をじ~っくりと隅から隅まで読んでりゃ分かると思うんだけど。でも、そういうのは人それぞれだしな。

 前置きが長くなったけど、もっと分かりやすい話を書きます。

 一昨日、4月16日土曜日に龍ヶ崎の農家の方が開いている田んぼ塾に、初めて行ってきました。実際の農作業を体験しながら米作りを学ぶ塾で、実習の場所は農家の田んぼです。
 この前の大震災で、茨城県南の田んぼが液状化して砂が噴き出したりしたというのをニュースで知っていて、塾の田んぼは大丈夫なのかと心配だっのですが、塾長に尋ねると被害が大きかったのは稲敷市のほうで、龍ヶ崎市の田んぼの被害はそれほどでもなく、塾の田んぼもポンプが故障した程度の被害で済み、そちらの修理も済んで田んぼ塾も予定通り開くことが出来たということです。

 現地へ行ってみると、まだ水の引いていない田んぼに塾生達が集まって、有機農業のやり方で作った肥料を撒いているところでした。田んぼはいくつかの区画に区切ってあって、一番大きな区画が約1反分(1000平方メートル強)。ちなみに田んぼの面積を単位で換算すると、

 1町分=10反分=300坪

となるそうです。昔から使われていた1反分は、一人の人間を養っていくのに必要な広さだと聞いたことがありますが、その広さが具体的にどのくらいかを、初めて知ることが出来ました。

 一見するとどこも同じように見える田んぼですが、水源に近い区画は高めに、遠い区画は低めになっていて、水が自然に流れ込む工夫がされています。

 作業の後、田んぼから離れた作業所へ行って、田んぼに植える苗を見せてもらいました。苗の育て方にもコツがあって、寒い時期には苗代をビニールシートで覆って保温するのですが、日中もそのまま放っておくと高温になりすぎて苗が弱ってしまうので、小まめな温度管理が必要だそうです。

 その他、道具を使った効率的な除草のやり方についても教わりました。

 これから毎週土曜日、東京で夜勤の仕事をした後になりますけれど、私は田んぼ塾に通います。  

Posted by 岩崎綾之 at 21:16Comments(0)農業

2011年04月10日

実は今、ネットカフェにいるのです

真夜中に6号国道を自転車で突っ走って、今、かすみがうら市のネットカフェに来てます。
つくば市からはちょっと遠いけど、オープン席の3時間パックが500円というお値段、こんなにリーズナブルな料金設定のお店って、県南じゃ他にないもんで。久々にゆっくりとパソコン画面に向き合えるなぁ。
んじゃこれからちょっとばかし、至福の時を過ごさせてもらいま~す。  

Posted by 岩崎綾之 at 22:35Comments(1)人生いろいろ

2011年04月04日

被災地からの手紙が開催させたコンサート

 私がユーオーディアコンサートのことを知ったのは4月1日。
 つくば市のNPO法人、自然生クラブのホームページで短い告知文を見たのがきっかけだった。最初はどこで開催されるかも分からず、またユーオーディアという名前にもこれまで馴染みがなかったので、自然生クラブのYさんにメールで問い合わせてみたら、場所は東京の新宿だとメールのレスが返ってきた。しかも入場料は一番安いB席でも2500円。この大変な時期にこの出費はきついとは思ったけれど、是非来てくださいとYさんが勧めるので、少々悩みながらも出かけることにした。Yさんは今回の原発事故の問題に真剣に取り組んでいたし、こちらもYさんに渡すべき資料があった。Yさん自身もコーラスで参加するというし、コンサートの終わりにでも会って資料を手渡せればと思って出かけた。
 会場は東京オペラシティコンサートホール。ここへ行くのは初めてだった。最初はこじんまりしたホールを想像していたのだが、行ってみて驚いた。新宿・初台の一等地にやたらどでかい建物が居座っている。それが東京オペラシティのビルだった。敷地だけでも私には馴染みの水戸芸術館が5つも6つも入りそうで、しかも凄く贅沢な建物の建て方をしている。甲州街道の大通りに面した出入口からホールまで延々と続く、長く広々とした通路だけでも驚嘆すべき、というより呆れた。よくもまあ、土地の値段だけでもべらぼうに高いはずのこの場所に、こんなブルジョアの殿堂みたいな代物を。でもオペラ愛好家の小泉元総理がよく来ていそうな場所だな。なんて思いながらホール入り口でチケットを買い、中へ入った。
 ホールはこれまで私が見た中で一番広い。音楽専用のホールでこれほど豪華なのは、これまで見たことがない。私の席は2階席だったが、そこから見下ろせる1階席はほとんど人で埋まっている。やがて開演の時間となり、ユーオーディアの代表から挨拶があった。

 その挨拶で語られたのが次の話だ。

 このコンサートの開催を巡っては、代表をはじめスタッフも相当悩んだ。
 予想もしなかった未曾有の災害、東日本大震災と福島第1原発事故が起きてしまった今、このコンサートを予定通りに開催すべきか、それとも中止すべきなのか。その問題を巡ってスタッフの間で激論が続いたが、意見はまとまりそうにない。
 そんな折、被災地の宮城県から1通の手紙が届いた。
 ユーオーディアのメンバーからの手紙だった。私は会場でメモを取らずにいたので、自分自身の記憶だけを頼りに書くことになるが、その手紙には次のような話が書かれていた。

 私は無事です。ですが私の幼馴染は2人の子供を残したまま津波にさらわれ、今も行方不明です。
 私の住む仙台の若林区は被害の最も大きい地域で、私は地元の避難所でボランティアを始めましたが、その避難所さえとても酷い状況で、そこに居るだけで気分が悪くなってしまうような場所です。あの大津波の後も、また津波が来るという知らせが届いたことがありました。後でそれは誤報だと分かったのですが、その時の私は車椅子の避難者の方を数人がかりで持ち上げて、上の階へと避難させましたが、その時はこれで自分も終わりかもしれないと覚悟を決めました。
 これまでの日常が破壊されてしまい、大変な状況で生きている私達ですが、それでもふと夜中に夜空を見上げると、満天に輝く星の美しさに驚きます。そして神様の創った自然はこれほどまでに美しかったのかと気づかされます。同時に、これまでの自分達はこんなにも美しいものが身近にあることに気づかぬまま、心を曇らされてその日その日を生きてきたことを悔やみたくなります。今の私はこれまでになく人間の罪深さと弱さを思い知らされ、その一方で神様の創った自然の美しさを賛美したいという強い想いがあふれてきます。
 ユーオーディアの皆様にお願いです。このような時だからこそ、神様を賛美してください。聖書の言葉にあるように、良き時も悪しき時も変わることなく、神様を讃え続けてください。

 この手紙を読んだスタッフ達の意見はたちどころにまとまったという。
 今のこの時だからこそコンサートを開催しよう。良き時も悪しき時も変わることなく、神様を讃える言葉を伝えていこうと。
 そして予定されていたコンサートは、被災地へ祈りを届けるコンサートとして開催された。

 私はキリスト教徒ではない。
 キリスト教のことはそれなりに学んでいるが、信者になろうという気はない。
 ユーオーディアはキリスト教に基づく音楽活動をしている団体だが、私はコンサートの当日までそのことを知らなかった。音楽の好みから言っても、「クラシックなんか聴いても退屈するだけだ」と常日頃から思っていた私は、高校卒業以来クラシックのコンサートに足を運んだことがなかった。なのに会場で手渡されたプログラムを見ると、演目はクラシックと賛美歌ばかり。私が一番心配だったのは、演奏を聴きながらついつい居眠りしてしまわないかということだった。コンサート当日も仕事の夜勤明けで、睡眠は電車の中で仮眠した程度。コンサートで眠り込んでしまう心配も大きかったのだが‥‥幸いなことにその心配は取り越し苦労で済んだ。それでもクラシックの演奏は──Yさんに言わせると一流の演奏なのだが──やはり私にはとっつきにくい感じがした。
 それでも最初の挨拶で、このコンサートが開かれるまでの経緯を知ることが出来たことはとても良かった。自分にとってはコンサートそのものよりも、コンサートが開かれるまでの話を聞けたことのほうが収穫だった。
 大震災と原発事故で日本中に自粛ムードが蔓延する今、中止されるイベントが数多いと私は聞いている。しかし、この深刻な状況下でもユーオーディアはコンサートを開催した。しかも開催を実現させたのは、被災地からの一通の手紙だった。
 私はこのことを、一人でも多くの人に知って欲しいと思う。

 余談だが、コンサートの終わりに会おうと思っていたYさんとは、結局会場では会えなかった。しかし会場スタッフの方が「コーラス参加者とはお会いできませんが、渡すものがあれば責任をもってお届けします」と対応してくれたので、私はYさんに渡す書類を預けたが、その時のスタッフの対応が見事だった。大勢の参加者の中にいるYさんの名前をきちんと覚えていて、同姓の参加者との名前の違いやYさんの出身地まで把握していたのには感服した。後日、Yさんからお礼のメールが届き、私が預けた書類が無事に届けられたことも確認できた。

※ユーオーディアのサイトはこちら
 http://euodia.jp/  

Posted by 岩崎綾之 at 20:56Comments(0)東日本大震災

2011年04月04日

被災地からの手紙が開催させたコンサート

 私がユーオーディアコンサートのことを知ったのは4月1日。
 つくば市のNPO法人、自然生クラブのホームページで短い告知文を見たのがきっかけだった。最初はどこで開催されるかも分からず、またユーオーディアという名前にもこれまで馴染みがなかったので、自然生クラブのYさんにメールで問い合わせてみたら、場所は東京の新宿だとメールのレスが返ってきた。しかも入場料は一番安いB席でも2500円。この大変な時期にこの出費はきついとは思ったけれど、是非来てくださいとYさんが勧めるので、少々悩みながらも出かけることにした。Yさんは今回の原発事故の問題に真剣に取り組んでいたし、こちらもYさんに渡すべき資料があった。Yさん自身もコーラスで参加するというし、コンサートの終わりにでも会って資料を手渡せればと思って出かけた。
 会場は東京オペラシティコンサートホール。ここへ行くのは初めてだった。最初はこじんまりしたホールを想像していたのだが、行ってみて驚いた。新宿・初台の一等地にやたらどでかい建物が居座っている。それが東京オペラシティのビルだった。敷地だけでも私には馴染みの水戸芸術館が5つも6つも入りそうで、しかも凄く贅沢な建物の建て方をしている。甲州街道の大通りに面した出入口からホールまで延々と続く、長く広々とした通路だけでも驚嘆すべき、というより呆れた。よくもまあ、土地の値段だけでもべらぼうに高いはずのこの場所に、こんなブルジョアの殿堂みたいな代物を。でもオペラ愛好家の小泉元総理がよく来ていそうな場所だな。なんて思いながらホール入り口でチケットを買い、中へ入った。
 ホールはこれまで私が見た中で一番広い。音楽専用のホールでこれほど豪華なのは、これまで見たことがない。私の席は2階席だったが、そこから見下ろせる1階席はほとんど人で埋まっている。やがて開演の時間となり、ユーオーディアの代表から挨拶があった。

 その挨拶で語られたのが次の話だ。

 このコンサートの開催を巡っては、代表をはじめスタッフも相当悩んだ。
 予想もしなかった未曾有の災害、東日本大震災と福島第1原発事故が起きてしまった今、このコンサートを予定通りに開催すべきか、それとも中止すべきなのか。その問題を巡ってスタッフの間で激論が続いたが、意見はまとまりそうにない。
 そんな折、被災地の宮城県から1通の手紙が届いた。
 ユーオーディアのメンバーからの手紙だった。私は会場でメモを取らずにいたので、自分自身の記憶だけを頼りに書くことになるが、その手紙には次のような話が書かれていた。

 私は無事です。ですが私の幼馴染は2人の子供を残したまま津波にさらわれ、今も行方不明です。
 私の住む仙台の若林区は被害の最も大きい地域で、私は地元の避難所でボランティアを始めましたが、その避難所さえとても酷い状況で、そこに居るだけで気分が悪くなってしまうような場所です。あの大津波の後も、また津波が来るという知らせが届いたことがありました。後でそれは誤報だと分かったのですが、その時の私は車椅子の避難者の方を数人がかりで持ち上げて、上の階へと避難させましたが、その時はこれで自分も終わりかもしれないと覚悟を決めました。
 これまでの日常が破壊されてしまい、大変な状況で生きている私達ですが、それでもふと夜中に夜空を見上げると、満天に輝く星の美しさに驚きます。そして神様の創った自然はこれほどまでに美しかったのかと気づかされます。同時に、これまでの自分達はこんなにも美しいものが身近にあることに気づかぬまま、心を曇らされてその日その日を生きてきたことを悔やみたくなります。今の私はこれまでになく人間の罪深さと弱さを思い知らされ、その一方で神様の創った自然の美しさを賛美したいという強い想いがあふれてきます。
 ユーオーディアの皆様にお願いです。このような時だからこそ、神様を賛美してください。聖書の言葉にあるように、良き時も悪しき時も変わることなく、神様を讃え続けてください。

 この手紙を読んだスタッフ達の意見はたちどころにまとまったという。
 今のこの時だからこそコンサートを開催しよう。良き時も悪しき時も変わることなく、神様を讃える言葉を伝えていこうと。
 そして予定されていたコンサートは、被災地へ祈りを届けるコンサートとして開催された。

 私はキリスト教徒ではない。
 キリスト教のことはそれなりに学んでいるが、信者になろうという気はない。
 ユーオーディアはキリスト教に基づく音楽活動をしている団体だが、私はコンサートの当日までそのことを知らなかった。音楽の好みから言っても、「クラシックなんか聴いても退屈するだけだ」と常日頃から思っていた私は、高校卒業以来クラシックのコンサートに足を運んだことがなかった。なのに会場で手渡されたプログラムを見ると、演目はクラシックと賛美歌ばかり。私が一番心配だったのは、演奏を聴きながらついつい居眠りしてしまわないかということだった。コンサート当日も仕事の夜勤明けで、睡眠は電車の中で仮眠した程度。コンサートで眠り込んでしまう心配も大きかったのだが‥‥幸いなことにその心配は取り越し苦労で済んだ。それでもクラシックの演奏は──Yさんに言わせると一流の演奏なのだが──やはり私にはとっつきにくい感じがした。
 それでも最初の挨拶で、このコンサートが開かれるまでの経緯を知ることが出来たことはとても良かった。自分にとってはコンサートそのものよりも、コンサートが開かれるまでの話を聞けたことのほうが収穫だった。
 大震災と原発事故で日本中に自粛ムードが蔓延する今、中止されるイベントが数多いと私は聞いている。しかし、この深刻な状況下でもユーオーディアはコンサートを開催した。しかも開催を実現させたのは、被災地からの一通の手紙だった。
 私はこのことを、一人でも多くの人に知って欲しいと思う。

 余談だが、コンサートの終わりに会おうと思っていたYさんとは、結局会場では会えなかった。しかし会場スタッフの方が「コーラス参加者とはお会いできませんが、渡すものがあれば責任をもってお届けします」と対応してくれたので、私はYさんに渡す書類を預けたが、その時のスタッフの対応が見事だった。大勢の参加者の中にいるYさんの名前をきちんと覚えていて、同姓の参加者との名前の違いやYさんの出身地まで把握していたのには感服した。後日、Yさんからお礼のメールが届き、私が預けた書類が無事に届けられたことも確認できた。

※ユーオーディアのサイトはこちら
 http://euodia.jp/  

Posted by 岩崎綾之 at 20:54Comments(0)東日本巨大地震

2011年03月28日

一昨日の出来事

 現在、うちのパソコンからネットにアクセスできず、メールも送れない。
 それでパソコンで作成した文章をいったんマイクロSDカードに移し、携帯電話にセットして携帯からメール送信することにしたのだが。
 なんてこった、マイクロSDカードとパソコンをつなぐアダプターがどっかへいってしまって見つからないぞ。
 仕方なく新しいアダプターを買いに、近所の家電量販店へ出かけた。
 あの大震災の日、3月11日を境にして店内の様子もすっかり変わってしまった。
 明るかった売り場は節電のため薄暗く、店内に音楽も流れていない。
 テレビは1台を残して全て電気を切られている。
 ただ一つスイッチ・オンになっているテレビには、バレエの女性ダンサーの映像が映っていた。ロンドンで開かれている世界選手権の映像らしい。
 踊る姿は優雅だけれど、表情にはひどく悲壮感が浮き出ているように見える。
 続くインタビューの場面で、彼女はこう言った。
「日本は必ず復興します」
 その真摯な表情に思わず見とれてしまったが、その後でこう突っ込みを入れたくなった。

 俺としては『復興します』じゃなくて、『復興させます』って言って欲しいな。
 でもその前に、次にやって来る危機を乗り越えなくちゃね。
 まさか、危機はもう終わったと考えているんじゃないだろうね?
 そう考えているとしたら、あまりにも楽観的すぎるぞ。
「最悪だ!」と叫びたくなるような事態は、これからも次々とやって来るはずなんだ。

 あの大震災から2週間がたった今、近所のガソリンスタンドはあの日の前と同じように、特別なことなど何もなかったかのように営業している。2週間前、スタンドの前に出来ていた長い車の列が嘘のようだ。
 スーパーでも全体の品数は少なくなったものの、すっかり空っぽになってしまったカップ麺売り場の棚にも、商品が戻ってきた。
 レジで会計を済ませて、ふと買い物カゴ置き場の台の上を見ると、東日本巨大地震被災者救援の募金箱が置いてあった。
 透明なアクリルの募金箱の中には千円札が。数えてみると1、2、3、4枚。
 透明な箱の中の千円札がとてもまぶしく見える。
 この国もまだまだ捨てたものじゃない。

 でも日本の深刻な危機はまだまだ進行中だ。

 ↓この先のガチでお堅い話はこちらのブログで。
http://onceinamillennium.tsukuba.ch/e120200.html  

Posted by 岩崎綾之 at 06:41Comments(0)東日本巨大地震

2011年03月28日

また買ってきたぞホウレン草

 ホウレン草から放射性物質が発見されたっていうんで、茨城のホウレン草は全県で出荷停止になっちまった。これでホウレン草はしばらくお目にかかれなくなるかと思ったら、国道沿いにある小さな店で売ってるじゃないの。
「ホウレン草、もう大丈夫なんですか?」
 って、レジのおばさんに聞いたら、
「出荷停止の前にとってきたヤツだから大丈夫」
 だってさ。でも、
「残りあと少しで、ホウレン草にはしばらくお目にかかれなくなりそう」
 だって。
 ん~、出荷停止になってからかなり日数経ってると思うんだけど、その割には青々としてるな~。ま、いいか。
 で、今度は大手スーパーの野菜売り場に行ってみたら、茨城産の水菜や小松菜やチンゲン菜と並んで、ホウレン草が売られていた。産地を見ると鹿児島産。へぇ、ずいぶん遠くから運んできたんだね~。茨城産の野菜の中には行方のJAが出荷したものも混じっている。行方っていえば先日、行方産のパセリから放射性物質が検出されたとか、昨日新聞に書いてあったよな。ま、いいか。
 で、家に帰って今日届いた新聞を読んだら、京都の市場に入荷した茨城産の水菜から放射性物質が検出されたんだってさ~。おいおいおいお~い。

 これは3日前の出来事。

http://onceinamillennium.tsukuba.ch/e120274.html  

Posted by 岩崎綾之 at 06:35Comments(0)茨城ホウレン草問題