2009年05月07日
水戸の回天神社
実は5月6日、水戸に立ち寄ったついでに、天狗党の乱で刑死・獄死した水戸烈士の墓があるという回天神社に参拝してきた。
水戸烈士が祭神として祀られているという水戸の護国神社は以前に参拝したけれど、回天神社への参拝は今回が初めて。
回天神社の存在を知ったのは、さる知り合いのおやじから話を聞いてだが、話を聞いてみると護国神社よりも回天神社のほうが本家だって口ぶりなんで、これは一度お参りに行かねばと思っていた。
神社の場所は水戸の市街地からちょっと外れた場所だけど、車の行き交う大通りからちょっと中に引っ込んだ所にひっそりと建っている。
入り口から入ると右手に神社、左手には同じような形をした烈士の墓がずらりと並んでいる。その日は雨がちで天気も悪く、訪れる人といえばたまに散歩中とおぼしき方が1人か2人ほど。
神社に参拝した後、回天館を見学する。
案内人はおらず、入り口には注意書きが書かれていて自由に入れた。 見学者は私1人で外は小雨の降る陰鬱な天気。それほど派手な展示物があるわけでもなく、烈士達の絶筆や年譜といったものが飾り気もなく壁に飾られている。
今は回天館という記念館になっているこの建物、元々は幕末に使われていたニシン蔵だったのだが、天狗党の乱が平定された後には烈士達を幽閉する牢獄として使用されていた。彼らがいかに劣悪な環境に置かれていたかは、以前にも歴史関係の情報をネットで拾っていたので、見学時には色々と予備知識があった。
蔵の中は悪臭立ち込め、僅かな食事しか与えられず、建物から出される時は処刑されるか別の牢獄へ移される時。こうい事を事前に知っていたせいか色々なイメージが呼び起こされ、見学していてすごく重苦しい気分になった。建物の扉の内側には、閉じ込められていた烈士が書いた文字もそのま残っている。
回天館の見学を終えて外に出て、そこではじめて回天神社の裏側に烈士達の慰霊碑が建てられているのに気がついた。説明書きによれば、そもそもはこの慰霊碑が建てられたのが最初で、それが明治の初期の話。
回天神社が建立されたのはそれよりもずっと後で、昭和の後期になってからだという。慰霊碑も神社と同様、2匹の狛犬が守りの役目を果たしているが、慰霊碑の狛犬は神社の狛犬と比べて小柄ながらも、より猛々しい雰囲気を放っている。まだ斬り合いが珍しくなかった時代に造られたものだから、こういう雰囲気を持っているのだなと思った。
慰霊碑に手を合わせて帰ろうとすると、それまでぱらぱらと続いていた小雨が一気に激しさを増す。このタイミングで雨が激しくなるのも不思議だなと思ったが、その雨も神社から大通りに出る頃にはすっかり小ぶりになっていた。
水戸烈士が祭神として祀られているという水戸の護国神社は以前に参拝したけれど、回天神社への参拝は今回が初めて。
回天神社の存在を知ったのは、さる知り合いのおやじから話を聞いてだが、話を聞いてみると護国神社よりも回天神社のほうが本家だって口ぶりなんで、これは一度お参りに行かねばと思っていた。
神社の場所は水戸の市街地からちょっと外れた場所だけど、車の行き交う大通りからちょっと中に引っ込んだ所にひっそりと建っている。
入り口から入ると右手に神社、左手には同じような形をした烈士の墓がずらりと並んでいる。その日は雨がちで天気も悪く、訪れる人といえばたまに散歩中とおぼしき方が1人か2人ほど。
神社に参拝した後、回天館を見学する。
案内人はおらず、入り口には注意書きが書かれていて自由に入れた。 見学者は私1人で外は小雨の降る陰鬱な天気。それほど派手な展示物があるわけでもなく、烈士達の絶筆や年譜といったものが飾り気もなく壁に飾られている。
今は回天館という記念館になっているこの建物、元々は幕末に使われていたニシン蔵だったのだが、天狗党の乱が平定された後には烈士達を幽閉する牢獄として使用されていた。彼らがいかに劣悪な環境に置かれていたかは、以前にも歴史関係の情報をネットで拾っていたので、見学時には色々と予備知識があった。
蔵の中は悪臭立ち込め、僅かな食事しか与えられず、建物から出される時は処刑されるか別の牢獄へ移される時。こうい事を事前に知っていたせいか色々なイメージが呼び起こされ、見学していてすごく重苦しい気分になった。建物の扉の内側には、閉じ込められていた烈士が書いた文字もそのま残っている。
回天館の見学を終えて外に出て、そこではじめて回天神社の裏側に烈士達の慰霊碑が建てられているのに気がついた。説明書きによれば、そもそもはこの慰霊碑が建てられたのが最初で、それが明治の初期の話。
回天神社が建立されたのはそれよりもずっと後で、昭和の後期になってからだという。慰霊碑も神社と同様、2匹の狛犬が守りの役目を果たしているが、慰霊碑の狛犬は神社の狛犬と比べて小柄ながらも、より猛々しい雰囲気を放っている。まだ斬り合いが珍しくなかった時代に造られたものだから、こういう雰囲気を持っているのだなと思った。
慰霊碑に手を合わせて帰ろうとすると、それまでぱらぱらと続いていた小雨が一気に激しさを増す。このタイミングで雨が激しくなるのも不思議だなと思ったが、その雨も神社から大通りに出る頃にはすっかり小ぶりになっていた。
Posted by 岩崎綾之 at 16:53│Comments(0)
│水戸ネタ